渦戦士エディー
<悪魔の毒液>
<序章>楽しい山歩き?
よく晴れたある日。
タレナガースは戦闘員を伴って山野をめぐっていた。
青白くひきつったシャレコウベの顔には眼球の代わりに深い闇を湛えた眼窩と耳まで裂けた口。そこから伸びる鋭いキバが。
表情などあるはずもないこの魔人が何やら楽しげに見える。
しかしこの魔人が山歩きなどという高尚な趣味を持っているとは思えぬ。
しかもここは人の手がほとんど入っていない藪沢である。
まがりなりにも車が通れる山道からここまで、人の足なら1時間はかかるであろう。
来るのは良いがはたして元の山道まで戻れるかどうか。
タレナガースは小さな流れを見つけた。
澄んだ湧水がチロチロと流れている。
タレナガースは行く手を遮る木の枝を無造作にへし折りながら沢に降りた。
底のぶ厚い軍用の編み上げブーツが低木を不躾に踏み荒らす。
しばらく沢に沿って歩いていると、セリによく似た草が群生しているのが目に入った。
「ほほ、これはこれは」
タレナガースはその草の傍らにかがむとシャレコウベの顔を歪めてにんまりと笑った。
「戦闘員よ、これと同じ草を摘んで背中の竹籠に入れよ。これはドクゼリというての、猛毒を持つ草なのじゃ。今日はこの草を探しに来たのじゃよ」
なるほど、山歩きの目的は毒草探しであったか。
すると背後で竹籠を背負っている戦闘員がなにやらそわそわし始めたではないか。
「なんじゃ、食いたいのか?」
タレナガースはドクゼリの地下茎を掘り起こして戦闘員に「ホレ」と手渡した。
戦闘員は顔を覆うガスマスクを上へずらすとムシャムシャとその地下茎を食べ始めた。
見た目はなんとなくワサビに似ていなくもない。
すると戦闘員が突然ヒクッと全身を硬直させバタリとその場に倒れてピクピク痙攣し始めた。
タレナガースは気にも留めていない。
ところがしばらくすると戦闘員はムクリと起き上がって今度は自分でその草を両手でむしって食べ始めた。
毒の体を持つ生命体は毒を求めるものなのだろうか?そのあたりのことはタレナガースにもよくわからない。
「ふぇっふぇっふぇ。そんなに旨いか?」
戦闘員はすぐにまたバッタリ倒れて全身を強張らせると、数秒でまた起き上がってその草を食べようとする。
「いつまで食っておる。ええ加減にせい」
ズゴッ。
見かねたタレナガースが戦闘員の頭をミリタリーブーツで蹴り飛ばした。
「活性毒素で出来ている貴様じゃからすぐに復活できるが、人間が食えばただでは済まぬぞ」
言っているそばから、またもや戦闘員が体を一直線にして棒のようにバッタリと沢の中に倒れ込んだ。両手にドクゼリをしっかりと掴んでいる。
「チッ、まったく。放っておくと全部食らい尽くしてしまいそうじゃ。新たな毒液をこしらえるために必要な草なのじゃ。食っとらんでさっさと竹籠に集めるのじゃ。さぁ働け」
そう言うとタレナガースは鋭いツメで器用にドクゼリを地下茎ごと抜き取って戦闘員が背負う竹籠に入れ始めた。
それを見た戦闘員もタレナガースに倣った。
すぐに大きな竹籠の八分目ほどもドクゼリが摘まれた。
「これくらいあればよかろう。さ、アジトへ戻って新たな毒の調合じゃ」
タレナガースは沢から上がって藪の奥へと歩き始めた。
その背後でまたドサッと倒れる音がした。
アジトに戻ったタレナガースは採取したドクゼリをひとつかみ薬研に放り込むと力を込めて丁寧にすりつぶし始めた。
山の斜面に掘られた横穴の暗くてジメジメしたアジト内にジィコ、ジィコという草をすりつぶす音が流れた。
「ふぅむ。これくらいでよかろう。次はこの。。。」
タレナガースは奥の薬棚に並べられたガラス製の薬瓶を持ち出して蓋を開き、中の粉末を薬研の中のすりつぶされたドクゼリに加えた。
瓶にはイヌサフラン、クワズイモなど同じく有毒植物の名前が書かれている。
再び薬研を使う音がアジトに流れ出した。
ジィコ、ジィコ、ジィコ、ジィコ、ジィコ、ジィコ、ジィコ。。。
それから小一時間ほどその音は続いていた。
「面倒くさいのう。。。『ハイこちらが1時間すりつぶしたものですぅ』って助手がどっかから出してくれればよいが、うちにはそんな気が利いた手伝いのできる者はおらぬからのう」
ブツブツぼやきながら薬研の船形の臼を持ってさらに奥の暗がりへと消えていった。
「さぁてこれからが余の呪術の真骨頂じゃ。植物由来の体に優しい猛毒をこしらえてくれようぞ。人間どもにひと泡吹かせてくれる」
数分後、タレナガースが姿を消したアジトの奥の闇から不気味な呪文が流れてきた。
〜震える愚者よ恐れよ〜
〜巷に巻き起こる叫喚の調べ〜
〜逆巻く怨嗟のつどい〜
〜来よ、来よ、来よ〜
〜彼奴等の顔を見覚え、それぞれに呪いの贈り物をせよ〜
〜呼びかけに応ずるは誰ぞ〜
〜誉れある醜人は誰ぞ〜
〜牙もて参れ、余が元へ集え〜
ふぇっふぇっふぇっふぇっふぇ
不気味な笑い声がアジトから漏れ出て、近くの山鳥たちが一斉に飛び立った。
「おう、いよいよタレ様の新しき毒の精製も最終段階のようじゃのう。じゃが、あの呪文はたしか。。。?」
アジトの近くで小動物を虐めていたヨーゴス・クイーンの異様に吊り上がった目に好奇の光が宿った。
<一>木のモンスター
フォレスト・パークは徳島市のはずれにある約40ヘクタールの広大な自然公園である。
桜、欅、楓、楢、栗、杉などさまざまな樹木で人口の森を造り、木々を縫うように遊歩道を整備してある。
川が流れ、人口の滝を配置し、水辺には休憩所やカフェがあって疲れを癒してくれる。
休日ともなれば大勢の県民が訪れて森林浴を楽しんでいる。
家族連れや恋人たちが芝生に腰を下ろして持参した弁当を広げている。
今日は快晴だ。
木々の間から光が射して森の小径は幻想的な趣を見せている。
「気持ちがいいですね課長」
「本当だね。この時期は暑くも寒くもなくて、こうして散歩するにはもってこいだよ」
今日は職場の課員7人でフォレスト・パークへハイキングにやってきた。
木立の中の遊歩道を歩いて一番奥の高台にある展望スポットを目指している。
言い出しっぺの係長は我が手柄と言わんばかりに「気持がいい」を連発していた。
後方を歩いている若い職員たちはせっかくの休日にわざわざ仕事の連中と顔を合わせることに不満たらたらではあったが、兄貴分の主任に「まぁまぁ」となだめられて渋々ついてきた。
しかし木々の間から微かに吹いてくる風は緑の香りがして確かに心地よい。
これはこれで来てよかったかと皆が思い始めた頃。
「あら?」
一番若い女性職員がふと空を見上げた。
「ん、どした?」
前を行く男性職員が振り返った。
「今、なんだか雪が降ったような。。。?いや気のせいですね」
「そりゃそうだろ。まだ秋だ。雪なんか降ってたまるか。。。って、ええ?」
つられて頭上を見上げた彼も素っ頓狂な声をあげた。
間違いない。
「雪!?」
「待て待て、黒いぞこれ。黒い雪なんてあるもんか」
頭上から降るそれを掌に乗せた課長がそれを顔に近づけて観察した。
雪のようだが真っ黒だ。
「雪じゃないわ。何よこれ?」
周囲を見渡せば黒い雪が舞い降りているのはこのあたりだけだ。
遊歩道を歩く他の人たちは皆、彼らの頭上から降る黒く小さなモノを珍し気に見物している。
「花粉か?木が噴き出しているみたいだぞ」
「だけどこれがスギ花粉ならオレ、ただじゃ済まないですけど何ともないです」
いずれにしても妙だ。
一旦木の少ない広場エリアへ退避しようと言いあって引き返そうとした時、係長が苦しそうな声をあげた。
「う、うう。。。気持ち悪い」
足がふらついている。
「だ、大丈夫ですか係長?いや、ボクもなんだか目まいがしてきた。。。」
「私、頭が痛い」
この花粉のせいか?
おかしい。おかしすぎる。
見上げた幹の上部にウロがふたつ横に並んでいる。
そのウロからグルンと突然大きな目玉が現れた。
「ひっ!」
木の目玉は黒い花粉に苦しむ人たちを見下ろしてニィィィと笑った。
そして。
ヴォオオオオオオィ!
ウロの下が大きく左右に裂けて口が開き、恐ろしい叫び声をあげた。
「きゃあ。悪魔!悪魔の木だわ」
「うわわわ。モンスターだ!」
悪魔のような木のモンスターだ。
ヴォヴォヴォオオオ!
ヴォウオウオウオウ!
周囲の木が一斉に叫び始めた。
どの木も丸い目玉をむいて人間を見下ろしている。
「ひゃああ。木のモンスターに取り囲まれている」
まるで西洋のおとぎ話に出てくる魔女の森に迷い込んだみたいだ。
早く助けを求めなければ。
黒い花粉はさらに降り注いで、みんな墨をかぶったようだ。
苦しさで消えそうな意識の中で、スマホを取り出した女性職員は震える指で119をタップした。
「た、助けて。。。」
木々に挟まれた遊歩道は今や獲物を捕らえた毒の罠と化してしまった。
その頃、他のエリアにいた人たちもこの騒ぎに気づき始めた。
風に乗ってこの黒い花粉が飛来し始めたからだ。
まず子供が体の異変を訴え始めた。
「か、花粉が。変な黒い花粉が舞っている!みんなバタバタ倒れている。。。早く救急車を呼んでくれ」
事務所に駆け込んできた人はそう言うなりその場に倒れ込んでしまった。見ると上半身が真っ黒になっている。
木の管理を行っている職員は「そんな馬鹿な」と倒れた人を見つめたが、すぐに我に返って119番に連絡し、他の職員は110番をかけた。
「黒い花粉が!木が毒の花粉を噴いてみんな倒れてしまって」
連絡を受けた警察署員は、事態の異様さから直ちにEアラートを発動した。
『迷うな。すぐに呼べ』
Eアラートスイッチの前に貼られた標語である。
「エディー、来てくれ!」
「タレ様や、木のモンスター化作戦、存外うまくいったのう」
フォレスト・パークの森陰で騒動を楽し気に眺める人影がふたつ。
そこから耳障りな声が漏れ聞こえてくる。
「うむ。人間どもは木という存在に対してあまり警戒心を抱かぬものなのじゃ。そこに目をつけた余の慧眼であろう」
したり顔でふんぞり返っているのは魔人タレナガース。
苦しむ人たちを心から面白そうに見ているのはタレナガースの片腕ヨーゴス・クイーン。
気分がハイになっている時は紫の体毛が艶を帯びてくる。毒虫の化身ならではの残虐性ゆえであろう。
「それはそうとタレ様。こたびの毒液をこしらえた時のあの呪文。そなた悪魔を呼び出したな」
「おお、聞いておったのか。確かにあれは悪魔召喚の呪文じゃ。こたびの毒液「イーヴィル・ダーク」には悪魔を丸々一匹漬け込んである。大釜の中に放り込んで封印してある」
「なんと!じゃが悪魔なんぞ召喚すれば後々処分が面倒ではないかえ?」
「フン。後で面倒になるような悪魔など、はなから呼び出したりせぬわ。下っ端。雑魚。名もなき下級悪魔よ。せいぜい人間を脅かしたり欺いたりして喜んでおる程度じゃ。放っておけば毒を煮込んでおるうちに溶けてしまうわ」
「ふうむ。しかし悪魔のエキス入りの毒液とはよう考えたものじゃ」
「であろう。毒に溶かされてもいろいろ悪さをしてくれようほどに、まぁ見ておれ」
ふぇっふぇっふぇっふぇ。
ひょっひょっひょっひょ。
木陰から笑い声が流れ、その辺りから一切の生き物が逃げ出してしまった。
フォレスト・パークでの騒ぎはさらに大きくなっていた。
遊歩道にいた来訪者たちが黒い花粉を浴びて次々と倒れた時はあちこちで助けを求める悲鳴があがっていたが、出動依頼を受けたエディーとエリスが現着した数分後にはその声も小さくなってしまい言葉にならない呻き声に変わっている。
「これは一体!?」
渦戦士たちは黒い花粉が舞う一角を見て愕然とした。
黒い花粉は今も遊歩道の一角を取り囲む木々から噴き出している。
遊歩道の左右の木々が倒れた人たちを取り囲んで大声で笑っている。
まるで悪魔が棲む森だ。
「これが木のモンスターか」
「このエリアの木だけが毒性花粉を撒き散らしているのね」
「エディー、考えている時間はなさそうよ。何よりまず倒れている人たちを花粉の無い場所まで運び出さなきゃ」
エディーとエリスは毒性の強い黒い花粉の雨の中へ駆け出そうと花粉の中へと足を進めた。
「待て!?この土」
不意にエディーが足元を見て立ち止まった。
渦エナジーで構成されたエディーたちのバトルスーツはヨーゴス軍団の毒性物質は通さない。
それでもソールから伝わる違和感は尋常なものではない。
「ここに毒を撒いたんだ。それを木が吸い上げてモンスター化したのか」
「急ぎましょうエディー。花粉だけじゃなくて、ここに倒れているだけでも体に毒が回る!」
ふたりは倒れている人たちの元へ駆けた。
いきなり現れた闖入者に、木のモンスターたちはギロリと目玉を動かして睨みつけた。
ヴォヴォヴォオオオ!
夢に出てきそうな恐ろしい景色だが、そんな脅しに構ってはいられない。
ここに倒れている人たちはもう限界のはずだ。
早く。一刻も早く!
遅れて到着した警官隊がこちらへ走って来るのを「来ちゃいけない」と大声で制して、エディーとエリスはそれぞれ3往復で7人の被害者たちを抱えあげてパークの敷地外へ運んだ。
運び出した被害者たちのケアをエリスと救急隊に任せてエディーは再び遊歩道の木のモンスターへと踵を返した。
木だから動かずその場にとどまっている。
しかし際限なく噴き出す黒い花粉が風に乗って市街地へ到達したら大変なことになる。
かつてヨーゴス軍団のモンスターとして送り込まれた動物たちは、どれも望んでモンスター化したわけではない。
タレナガースが開発した活性毒素に侵されて醜い姿に変えられてしまったのだ。
この木たちとて同じだ。
根から水分や養分を吸い上げて生きているだけなのに。
「君たちも被害者だよな。本当にすまない」
今までもモンスターは斃してきた。
毒花粉を噴き出すこの木も切り倒すしかない。
悲しみと怒りがエディーの体内を駆け巡る青く清浄な渦のエナジーに力を与えた。
エディーは左右の掌を向かい合わせてその間に渦エナジーを集中させる。ふたつの掌の間にポゥと青い光の玉が生まれ、それはみるみる長く伸びて1本の剣を形作った。
青き光の剣、エディー・ソードだ。
岩をも易々と切り裂く必殺の長剣。
エディーはソードを脇に構えてしっかりと固定し、回転し始めた。
シュウウウウウン!
体と共に高速回転する青いソードはまるで大きな丸ノコのようだ。巨木すら一刀のもとに切り倒すそれは、いわばエディー・ソゥだ。
地面を蹴って太い幹を両断しようとした時。
「ちょっと待った」
ガキィィン!
なにかとてつもなく堅い物に当たって、エディー・ソゥは回転を遮られて後方へ弾かれた。
「な!?」
エディーは脇から声をかけたその男を見た。
そこには緑色のバトルスーツに身を包んだ超人が立っていた。
「スダッチャー!?」
エディーの必殺ソードを弾いたのはスダッチャーのスダチ・ソードだった。
大ぶりの夏みかんほどの大きさの緑色の丸い球が3つ串刺しになったような剣。斬るのではなく相手にぶち当てて炸裂させる爆裂剣だ。
エディー・ソードの当たり所によっては大爆発していたかもしれない。いつもながら無茶をする。
「エディー、オレ様に任せておけ」
スダッチャーは胸のスダチ・コアを突き出してふんぞり返ると親指で自分の顔の真ん中を指した。
「それは構わないが、どういう風の吹き回しだ?」
いくらモンスターでも木が相手じゃバトルにならないだろう。スダッチャーがただの人助けで動くとも思えないが。
「杉のじいさんに頼まれたんだ。ここの木たちがたいへんな毒にやられているから助けてやってくれってさ」
「杉のじいさん?」
「もうずっとずぅっと昔から生きている古い杉の木さ。オレ様も生まれた時から随分世話になっている。あのじいさんに頼まれたらイヤとは言えねぇわけよ」
「なるほどな」
「エディー、オレ様が木の中に入って動きを止める。お前はそこで見ていろ」
「中に?木の中はたぶん毒でいっぱいだぞ。大丈夫なのか?」
「当たり前だ。オレ様を誰だと思っている」
「わかった。じゃあ頼む。だがタレナガースはいつも新しい毒を開発してくるからどんな仕掛けがあるかわからないぞ。十分気をつけろ」
「おう」
スダッチャーは盛大に黒い花粉を振り回しているひときわ大きな木の中へ吸い込まれるように潜り込んだ。
待つこと数分。
その木からの黒い花粉がピタリとやんだ。
木の幹に現れて人間を睨みつけていた丸い目玉がボトリと地面に落ちると白煙と共に蒸発した。その跡はただの木のうろだ。
「やったのか!?」
そして叫び声をあげていた口からどす黒い液体がダラダラと流れ出した。
まるで木が泣きながら嘔吐しているようだ。
「これは。木が地面から吸い上げてしまった毒液か」
流れ出た毒液は木の周囲の地面に溜まると白い煙をあげ始め、目玉と同じようにみるみる蒸発した。
やがて木の中からスダッチャーが姿を現した。
体のあちこちが黒く汚れてしまっている。
「ああ気持ち悪い」
「凄いなスダッチャー。どうやったんだ?」
「中から浄化したんだよ。オレ様のスダチパワーで、充満していた毒を全部外へ押し出したのさ。頑張らねぇとお前に切り倒されるからな」
そうだ。
エディーは人を助けることだけを考えていたが、スダッチャーはむしろ木を助けたいのだ。
「すまないスダッチャー。オレの考えが足りなかった」
「んなこたぁいい。さぁ次だ次だ」
そう言うとスダッチャーは次のターゲットめがけて駆け出し、エディーもそれに続いた。
約90分。
毒に侵されてモンスター化した十数本の木々をスダッチャーがすべて浄化するのに要した時間である。
始めのうち、まだスダッチャーにスダチエナジーが満ち溢れていた頃に比べ、7本目、8本目と進むにつれてその速度は落ちていた。
明らかにスダッチャーは消耗していた。
すべてが終わった時、彼は木を狂わせていた毒液を全身に浴びて真っ黒になっていた。もはや緑の超人の面影はない。
「お疲れ様、スダッチャー。力を貸してくれて有難う」
エディーは肩で大きく息をしているスダッチャーを労った。
だがスダッチャーは無反応だ。
「どうしたスダッチャー。疲れたのかい?」
エディーはスダッチャーの肩に軽く手を置いた。
その時。
がぅ!
スダッチャーはまるで電気に触れたかのようにエディーの手を振り払った。
「う。。。どうしたスダッチャー?何を怒っているんだよ」
エディーは両手を上げて1歩下がった。
「何か気に障ったかい?」
困惑するエディーに、スダッチャーは我に返ったように顔をそむけた。
「い、いや。何でもねぇさ。気にするな。オレ様はこれから杉のじいさんに顛末を報告してくるぜ。じゃあな」
そう言うとスダッチャーはパークの林の奥へゆっくりと歩き去った。
だが、ここへ姿を現した時とは別人のような後姿だった。
一方、エリスもその頃になってようやく毒の解析が終了した。
木を狂わせる活性毒素。こんなのは初めてだ。
しかもどうしてもわからない妙な要素がひとつある。それが解析の邪魔をした。いつもより時間がかかってしまった。
「これはドクゼリの毒がメインになっているわ。イヌサフランやクワズイモも混ぜられているけれど、問題はこれらを超常的に改悪してあるタレナガースの呪術よね。何だろう、もうひとつとても邪悪な力が介入している気がするわ」
だが幸いその正体が何であれ解毒は可能のようだ。
エリスはこれ以上毒の解析に時間を費やすのはやめて解毒剤の精製に力を注ぐことにした。
「よし。解毒剤のサンプルができたわ。これを試して効果があれば被害者の皆さんの症状も軽くできるはず。急がなきゃ」
被害者たちは既に最寄りの病院へ搬送されて毒花粉の洗浄を始めているはずだ。
一刻も早く解毒剤を届けてあげたい。
それにパーク内の土だ。毒が沁み込んだ土を早く洗浄しなければまた同じ事件が起こるに違いない。
現場に向かったエディーもまだ戻らないところを見ると苦戦しているのかもしれない。
「とにかく急いで大量に解毒剤を作らなければ」
「結局パークの敷地全体の安全を確認するまでに半日以上かかっちゃったね」
ヒロは椅子の背もたれに体重をかけてうーんと反り返った。
いつものカフェの奥の席。
ヒロとドクは疲労困憊の互いの顔を見合わせた。
「それにしてもイノシシやツキノワグマみたいな動物をモンスターにしてきたヨーゴス軍団が木をモンスターにするなんて、思いもよらなかったよ」
「本当ね。でも実際に奴らが汚染したのは木じゃなくて土だったのよ。土壌汚染。。。相変わらずひどいことをするものね」
タレナガースめ、とんでもない所に目をつけたものだ。
ふたりは運ばれていた大きなカップのカフェ・オーレを黙ってすすった。
「それにしても、今回もスダッチャーにすごく助けられたよね」
「木のモンスターだから私たちは木をなぎ倒そうとしていたけれど、スダッチャーは木を助けたかった。それは私たちが徳島の人たちを助けたいと思う気持ちと同じだったのね」
バトルフリークの暴れん坊だと思っていたスダッチャーにも守りたいものはあるのだ。
確かに木や植物に大きな被害が及んだ時、スダッチャーはいつも怒っていた。
「お世話になっている杉のおじいさんとやらに頼まれたからって頑張っていたけれど、案外律儀なところもあるんだなぁ」
「心配なのは、これでもう木のモンスターは現れないのかってことなのよ」
ふたりは手にしたカップをテーブルに置いて考え込んだ。
「ひとつ気になることがあるんだ」
ヒロがずっと考えていたことを口にした。
「あれだけ広くて木がたくさん生えているフォレスト・パークなのに、どうしてあの遊歩道沿いの一角だけに毒を撒いたんだろう?」
「そうね。敷地全体の木がモンスター化したら手がつけられなかったわ。スダッチャーも手の施しようがなかったはずよ」
「だけどタレナガースはそうしなかった」
少しの沈黙の後ヒロが口を開いた。
「毒が少ししかなかったから?」
「そうかもしれないわね」
しかしどうせ毒を撒くのなら、時間がかかっても大量に精製しておいて広範囲に撒けばよいものではないか?
少量だけを撒いたのには何か理由があるのだろうか?
俯いて考え込んでいたヒロがハッと顔をあげた。
「試したんだ。。。」
ヒロの言葉にドクも頷いてポンと手を打った。
「そうよ、きっとそう。新しく作った毒の効果を見極めようとしたんだわ」
ヒロとドクは顔を見合わせた。ふたりとも眉間にしわを寄せている。
「かなりの効果があったとみていいはずだ」
「だとしたら絶対にまた使うわね。今度はもっとたくさん」
「そして、もしかしたらもっと酷い毒を。。。」
木を狂わせる毒液の効果にタレナガースは満足したはずだ。
「しばらくは警戒を厳しくしないといけないな」
ドクは頷いたが、かといって徳島県は山が多く広大な森林地帯を持つ。
特に県南西部の森林地帯は広大だが、いたる所に里山も数知れずある。
人里の近くで突然木々があの毒花粉を撒き始めたら。。。
ドクの発案でとりあえずそうした人間の生活エリアを中心にパトロールすることになった。
「それでも範囲が広すぎるから手分けしましょう」
「了解した。オレのヴォルティカにも解毒剤を積めるだけ積んでいくよ」
オッケー。
効果的な対処法とは言えないが、とりあえず明日からのスケジュールははっきりした。
そうと決まれば。
「マスター、昔ながらのナポリタンふたつ!」
<二>杉のおじいさんの心配
〜スダッチャーよ、ご苦労だったね〜
フォレスト・パークの事件がひと段落した後、スダッチャーはとなりの山の森へ帰ってきた。
仲間の木がひどい毒に侵されているから助けてくれ、と依頼した杉のじいさんに会いに来たのだ。
「じいさん、終わったぜ。毒に侵された連中もみんな元に戻ったから安心してくれ」
そう言うと杉のじいさんは大層喜んだ。
〜渦の若者が向かったそうじゃったが、あの若者はヒトを救うことを優先するあまり木をなぎ倒してしまう。だからお前に頼んだのじゃよ。それが正解であったようじゃのう〜
「へへ、お安い御用さ。オレ様が出張れば相手がエディーだってそんなことはさせねぇ」
スダッチャーは胸をそらして威勢よく言った。
〜うむ、うむ。さぁ我らの中に入ってゆっくりと休んでくれ。好きなだけ眠るがよい〜
「うわっ、何だこれは!?」
オレ様の周囲は黒い液体にまみれていた。
憶えがある。
ここはオレ様が侵入したモンスター化した木の内部だ。
この木は根から大量の毒液を吸い上げてしまっていたんだ。
前も後ろも右も左も、ネバネバドロドロした黒いタールのような嫌な液体で満ちていやがる。
「酷いことになっているな、こりゃ」
さらに根から黒い粘液が大量にあがって来るじゃねぇか。
「おい、しっかりしろ。気を確かに持て!」
ヴォオオオオオオム。
ヴォウウウウウアア。
必死で呼びかけたんだがもう答えは無くて、耳を覆うような大音量の叫び声が返ってくるばかりだ。
完全に我を失っている。
なんと毒液はオレ様の目や口からも入って来ようとする。
あらゆる所へ隙間なく入り込んでやろうという意思を持っているようだ。
「よせ。毒を吸い上げるな。これ以上花粉を出すんじゃない」
何度も何度も説得したんだが一向に通じない。
何とかしてこの毒を外へ出してしまえないか?
こんな時エディーなら渦エナジーを解放して毒性物質や邪悪な気を退けるのだろう。
エディーにできるんならオレ様にもできるはずだ、そうだろう?
そこでオレ様は胸のコアからスダチのエナジーを解放した。
シュアアアアアア。
コアから緑色のエナジーが放たれて黒い毒液に溶け込んでいった。
はじめは黒い毒液に押されていたんだが、次第に清涼で強力なオレ様のエナジーが木の内部の黒い毒素を少しずつ駆逐し始めた。
まるでこびりついた頑固な油汚れを柑橘系洗剤が洗い落としてゆくようだったぜ。
「おおお。オレ様にもできるじゃないか」
意識を胸のコアに集中させると、スダチのエナジーが毒に侵された木の内部の隅々に行きわたってゆくのを感じる。
内部を緑の光でいっぱいに満たした木はすっかり鎮まって黒い花粉を出さなくなった。
「大丈夫か?もう毒は残っていないか?」
そう聞くと今度こそ木は『大丈夫だ。有難う』と意識で返してくれた。
それをよくよく確認してオレ様は木から外へ出た。
見ると木の周囲では流れ出た毒液が白い煙となって蒸発してゆくじゃねぇか。
木の中にいる時はオレ様も意識体になっているため、黒い毒液も「認識」していただけだったが、実際にこうして見ると毒の多さと酷さがよくわかるってもんだ。
だが終わったわけじゃない。まだまだたくさん救わなければいけない。
だからオレ様は次の木に向かって走ったのさ。
〜スダッチャー。スダッチャーや〜
「ん、ああ何だい杉のじいさん。何か用か?」
〜いや、先刻から眠っていながら何やら苦しそうに見えたので声をかけたのじゃ。お前さん、どうかしたか?どこか悪いのではないか?〜
「馬鹿だな。何を言い出すかと思えば。不死身の超人スダッチャー様に向かってどこか悪いのかだって?」
〜うむ。そうじゃな。これは儂としたことがくだらぬことを聞いた。済まぬ〜
「へっ、まぁいいさ」
スダッチャーは腕を組んで胸を反らせた。
元気なら満タンだ。見せられるもんならこの元気の塊を体から取り出して杉のじいさんにも見せてやりたいくらいだ。
実際ここしばらく元気が満ち溢れている。こうしている今だってひと暴れしてやりたい衝動にかられる。
だが外に出ようとすると杉のじいさんがゆっくり寝ておれと言う。
あれほど力を使ってくれたのだからその木の中でもっと休んでいなさいと言う。
そういうものか。。。
杉のじいさんはまもなく1300歳になるという。
その見識にはスダッチャーも一目置いている。
まぁその杉のじいさんが言うのならそうしよう。
スダッチャーは再び目を閉じた。
その口からグルゥゥという低い唸り声が洩れていたことを本人だけは気づいていなかった。
カタンカタン。
「え?誰かいるの?」
ドクはマンションの窓を開けて外を窺った。
誰かがこの窓を叩いたような気がしたのだ。
「誰もいないなぁ。ってか、ここ3階だし誰もいるわけないよね」
トントン。
その時誰かが彼女の頭を突っついた。
「え!?」
驚いて上を見ると、木の枝が目の前まで垂れていて風に揺れている。
「ああ、なんだ。木の枝が風で窓ガラスに当たっていたのね」
そう思って窓を閉めようとすると、枝の先が屋内にまで入り込んで閉めさせようとしない。
「もう。寒いんだから入ってこないで。閉めるわよ」
ドクは枝を外へ押しやると窓をピシャリと閉めた。
「お汁粉お汁粉〜♪」
ドクのマンションから歩いて5分ほどのスーパーでいつものように夕飯の買い物をしていたら、思いがけずインスタントのお汁粉が安かった。
<広告の品>らしい。
今朝の広告はチェックしていなかったが、お汁粉は好物だ。
5袋も買い込んだうえ、丸餅のパックも買ったために買い物バッグがけっこう重くなってしまった。
正面から風が吹いてくる。
「ううう寒い。早く帰ってお汁粉食べようっと」
近道をしようと小走りで公園を横切っていたら不意に髪の毛を引っぱられた。
「痛ッ!」
ドクは頭を抑えた。
人の手ではないことはすぐわかった。
公園に植えられているコナラの枝が髪の毛に絡んでいたのだ。
「いたたた。もう何よ」
ドクは買い物バッグを置いて両手で髪の毛を枝からほどこうとしたが、なかなかはずれない。
まるで枝の方が髪の毛を掴んでいるようだ。
「いい加減にしてよね。しつこいと枝を折っちゃうよ」
さすがに腹が立ってきたドクは上目遣いに木の幹を睨んだ。
すると枝はあっけないくらい簡単に髪の毛から離れていった。
ドクは2〜3度手櫛で髪を撫でつけると買い物バッグを持って、コナラの木にプイと背を向けてマンションへと帰っていった。
数歩進んだ時点でドクの頭の中は丸いお餅を浮かべたお汁粉でいっぱいになっていた。
翌朝。
いつものカフェの奥の定位置でドクはモーニングセットのメニューを見ていた。
カランコロン。
ドアベルが鳴って二人目のお客が入店してきた。
ヒロだ。
グレーのパーカーにジーンズ姿である。
「マスターおはようございまぁす」
マスターにあいさつしてドクの向かいにドカッと腰を下ろした。
「おはよう」
「おはよ」
短い挨拶をかわした後、ドクの目がヒロのパーカーの肩に留まった。
「アラ、肩に枯れ葉が付いているわよ」
うん?とヒロが指されたあたりを見る。
「あ、まだ付いていたんだ。酷いんだぜ、ここ見てくれよ」
枯れ葉を払ったあたりの生地に小さな傷が付いている。
裏起毛の厚手のパーカーなので穴が開くほどではないが、確かこのパーカーはごく最近買った新しいヒロのお気に入りのはずだ。
「ここに来るまでに2回も街路樹の枝に擦っちゃってさ。2回目なんか枯れ葉が何枚も頭から降ってきたんだぜ。呪われてるのかなぁ」
肩についた擦り傷のあたりを撫でながら口を尖らせている。
「この間のフォレスト・パークの一件以来、どうも木に目をつけられているみたいで」
その時ドクはハッとして視線をメニューからヒロに移した。
「待って、実は私もなのよ。頻繁に木に絡まれているの。そう言えば木のモンスターが現れて以来、なんだか木が。。。」
しばらくふたりで視線を合わせたままじっと考えている。
「もしかして木に呼ばれている?」
「いや、まさかそんなことって。。。」
あり得ない?
だがあり得ないような不思議なことに今までいったいどれだけ遭遇してきたことか。
「木がねぇ。。。」
そう言いながらヒロが傍らの観葉植物に目をやった時。
パァァン!
急に光が弾けて二人を包んだかと思うとまるで穴の中に落下してゆくような錯覚に襲われてふたりは思わず椅子の手すりにしがみついた。
「な、なんだ!?」
「何が起こっているの!?」
激しいめまいに襲われながら必死に足を踏ん張る。
気がつけば白光のオーロラに包まれたような世界に立っていた。
「カフェにいたよな」
「ええ。でも。。。ここは?」
現実離れした世界だ。
上下左右、光しかない。
立っているのか浮いているのかすらわからない。
〜驚かせて済まないね〜
穏やかな声がした。
だが見回しても周囲には誰もいない。
ただ、声に邪悪なものは感じなかった。
落ち着いて話せる相手だとヒロもドクも直感した。
「誰ですか?ここはいったい。。。」
「私たちはどういう状況にいるのでしょう?」
しばらくの沈黙の後、再び声が届いた。
〜ここは我ら木の精神世界です〜
「あなたの中にいるって言うことですか?」
〜いいえ。私ひとりではこうした世界を構築することはできません。無数の樹木が心をひとつにして力を合わせて作り上げたものです〜
「あなたはもしかして、スダッチャーが言っていた杉のおじいさんでは?」
〜はい。皆を代表して私が意識を通わせています。私たちは何とかしておふたりと接触する機会を持ちたかった。先ほどようやくおふたりの意識がこちらを向いてくださったのでこうしてお話をすることが出来ました〜
つまり、近寄ろうとする木をヒロとドクが拒絶しているうちは彼らも意識を通じることはできなかったという訳だ。
〜スダッチャーが心配なのです〜
「スダッチャーが?」
「あいつ、どうかしたのですか?」
〜木の仲間がタレナガースの毒に侵された一件以来、ようすがおかしいのです〜
「ようすが?」
ヒロはすべてが片付いた後のスダッチャーを思い起こした。
「そう言われてみればなんだか元気がなかったような気もするな」
〜若く活気に満ちた木の中で休ませているうち少しずつ回復してきたのですが。。。〜
少し間をおいて、杉のじいさんは息を整えたようだ。
〜あの時の毒がスダッチャーの中に残っているのではないかと思うのです〜
「苦しんだりしているのですか?」
〜はい。いや、眠っている時はうなされているのですが、起きている間は元気なのです。というより元気すぎる〜
「それはどういう?」
〜暴れたがっておるのです。いや、あやつがバトルを求めてうずうずしておるのはいつものことじゃが、なんというか。。。とても邪悪な衝動がスダッチャーの中に芽生えておるような気がして。。。ならぬのです〜
ドクは杉のじいさんの言葉が途切れがちになっているのが気になった。
「そうか。あの毒は何の害意も持たぬ木々をモンスターに変えた。スダッチャーがああなってしまったとしたら、これは厄介だ」
〜助けて。。。いただけぬか、あの者を。暴れ者じゃが悪い。。。悪い者ではない。我らの大切な仲間なのでのう〜
「もちろんです。彼は何度も私たちに手を貸してくれたし、助けてもくれました。ね、ヒロ」
「ああ、その通りだ。スダッチャーがピンチなら必ず助けたい」
〜感謝。。。する。渦の。。。者たち〜
「おじいさん、大丈夫ですか?なんだか苦しそう」
〜大丈夫。ただ、疲れた。多くの木々の後ろ盾があるとはいえ。。。人と意識をかわすのは疲れる。。。ひどく〜
長くは話せそうにない。
「で、スダッチャーは今どこにいますか?」
〜スダッチャーは。。。うん?何じゃと!?〜
「どうかしたのですか?」
〜スダッチャーがたった今。。。休んでいた杉の若木を飛び出して。。。どこかへ行ってしもうたらしい。ああ、悪い予感がする。。。〜
遅かったのか?
「わかりました。私たちも全力でスダッチャーを探します」
「探し出して助けるよ。約束する」
再び白く眩い光がふたりを包み込み、気がつけばヒロとドクはカフェの席でメニューを覗いていた。
ふたりは周囲を見渡して「ほぉ」と息を吐いた。
―――戻ったのか。
だが今のは絶対に幻覚でも白昼夢でもない。
「一刻を争う事態ね」
「モーニングセットどうする?」
「もちろん、食べる!」
<三>ヘリポートの戦い
朝9時30分。
国道は混雑していた。
朝イチの打ち合わせを追えて営業に向かう車。時間指定の荷物を配達するデリバリーバン。出張客を乗せた京阪神行きの高速バス。
縦横に流れる川のような車の動きが突如すべてピタリと止まった。
「おい、どうした?」
「信号青だろう。何で止まったまんまなんだ?」
「事故か?」
車列の後方では首を伸ばして前方のようすを見ようとする運転手もいたが、交差点の真ん中では思いもよらぬ事態が起こっていた。
「おい、こいつって」
「見たことあるぞ。確かスダッチャーっていうやつだ」
「だけどスダッチャーって緑色じゃなかったっけ?」
交差点の真ん中に仁王立ちして交通を遮断しているのはまさしくスダッチャーだ。だが、その全身は漆黒のバトルスーツに包まれている。
スダチのパワーを秘めた緑のスーツはどうしたのだ?
同じ超人でもエディーと違ってこの男は何をしでかすかわからない。
すると。
うおおおおおおおお!
突然胸を反らせ天を仰いで叫び声を発した。
明らかに異常だ。
「いけない。おい、逃げるぞ」
「車はどうする?」
「馬鹿。ほっとけそんなモン。あいつおかしいぞ。とにかく避難だ」
交差点の先頭の車両から乗っていた人たちが外へ出ると、後続の車からも次々に逃げ出した。
上り車線の高速バスも運転手が乗客を避難させ始めた。
わずか数分で、黒いスダッチャーが立つ交差点を取り囲む無数の車はどれも無人となった。
スダッチャーはその車の群れをジロリと睨みつけた。その目には、どの車も自分に向かって迫りくる敵に見えていた。
「黒い毒液だ。毒液がオレ様の周囲を取り囲んでいやがる。洗っても洗っても落ちやしない。オレ様のスダチパワーで押しやってもすぐまた流れ込んできやがる」
ぐるるるるる。
胸の奥からどす黒い闘争欲求が沸き上がってくる。
「もう毒はうんざりだ」
黒く変色したゴーグル・アイから黒い炎がぼぅとあがった。
その炎がスダッチャーに幻覚を見せていた。
周囲にあるものはすべて毒に見えている。
毒が津波となって四方から自分を飲み込もうとする。その毒の中からさらに黒い敵が攻めてくる。
「あっちへ行け!毒はもううんざりだぁ!」
ごあおおおおお!
スダッチャーがダッシュした。
ズガァン!
無人の高速バスの正面に拳を叩き込む。
車長12mほどもある大型バスは衝撃でタイヤを浮かせて吹っ飛び後続の車を直撃した。
どの車も無人であることが幸いだが、バスの後部をもろに受けた乗用車の前半分は完全にへしゃげた。
その一撃が更に破壊衝動をたぎらせる結果となったか、スダッチャーは手近の車を蹴り飛ばし、持ち上げて歩道へ投げた。
グワッシャァン!
メキメキメキ。
街路樹をへし折りながら車はタイヤを上にして歩道に転がった。
ぐわおおおおおおぅ!
再び叫び声をあげて今度は大型トレーラーに向かおうとした時、車列を縫って2台のバイクが交差点に進入した。
「よせ、スダッチャー!」
渦戦士エディーとエリスだ。
「ねぇ、どうして真っ黒なの?」
「わからないが、きっと毒に侵されているんだよ」
「そうね。木を守ろうとしたスダッチャーが街路樹をあんなふうに傷つけるなんて。正気を失っているんだわ。注意してね」
エリスの言葉に頷きながらエディーはスダッチャーの真正面に立った。
暴れていたスダッチャーがエディーの姿を認めて動きを止めた。
じぃっと眼前のエディーを睨みつけている。狂気の黒い炎を通して、この渦の戦士はいったい何に見えているのか。
正気を失ってなお、強い相手とのバトルに興味を示しているのだろうか?
喉の奥から低い唸り声を漏らしながら少しずつ態勢を低くする。一気に襲いかかるつもりだろう。
だが、エディーは迷っていた。
―――渋滞したまま放置されたこの車にもし火がついたら。。。大変な事態になるぞ。
エディーは意識をスダッチャーに向けたまま目だけを動かしてエリスを見た。
エリスは人差し指で斜め上を指さしている。
実はエリスも同じことを考えていたのだ。
エディーもその方向へ目を動かす。
「なるほど、あそこか」
エリスが指さす方向には徳島セントラル・マーチャンダイズ(T・C・M)ビルがあった。
1階から3階までにレストランやショップが入り、4階から上がオフィスビルとなっている。地上12階の、市内で最も高いランドマーク・ビルだ。
その屋上にはヘリポートがある。
緊急避難などでヘリを離着陸させる大切な施設だが、周囲に気を遣わずこの狂気の超人とバトルするにはあそこしかないと思われた。
「よし、こっちだスダッチャー。オレについてこい」
エディーはファイティングポーズをとったままT・C・Mビルへ走った。
ごあああ。
戦う気満々のスダッチャーだったが、相手が急に逃げ出したと勘違いして怒り狂った。
―――オレ様と戦えぇぇぇ!
しかしそれはもはや言葉にすらなっていない。ただ雄叫びを上げるばかりだ。
スダッチャーも後を追って駆け出した。
ビルの中では既に多くの人々が働いている。エディーはビル裏手の非常階段へ回った。
「さぁ来い、かかって来いよスダッチャー」
エディーも時々は足を止めてジャブやローキックを繰り出す。そしてスダッチャーが反撃しようとするとクルリと背を向けてまた走り出す。
スダッチャーはかなりフラストレーションを抱えていることだろう。
まるで滝の流れをさかのぼってゆくように青と黒の超人が凄まじい速さで非常階段を駆け上ってゆく。
「もうすぐだ、スダッチャー。屋上へ出たら思いっきり相手をしてやるからな」
今度の相手はモンスター並の破壊力を持ってはいるがモンスターではない。目的は彼を倒すことではないのだ。
〜スダッチャーを救ってやってくれ〜
杉のおじいさんの言葉がエディーの脳裏によみがえる。
もとよりスダッチャーは仲間だと思っている。
無茶はするしすぐ暴れるが、絶対に悪いヤツではない。
ほどなくふたりは屋上に到達した。
そこは緊急用ヘリポートだ。中央に大きくHの文字が描かれている。
地上約70m。
路上では想像できない強い風が舞っている。
振り返ればスダッチャーがこちらを凝視していた。燃える闘気が突風にも揺るがぬ黒いオーラとなって湧き上がっている。
「よし。ここなら大丈夫だ。スダチ・ソードを錬成させる木も生えていないしな」
拳を構えるエディーにスダッチャーが突っかけた。
大気の摩擦で赤く発光した拳がエディーの顔面を襲う。
「!」
パシィ。
辛うじて顔をそむけながら右の掌で受け止める。
とんでもない速さだ。
これも毒の作用か!?
ズドッ!
ガガッ!
ぐぅ。
連続して繰り出される拳はいずれも神速と言っていい速さだ。
来た、と思った時には側頭部に、脇腹に、腹部に、熱を帯びた拳が次々にさく裂する。
さらに正面からストレートが来た。
本能的に両腕でガードしたエディーだったが、衝撃が両腕を貫いて体の前面から背中へ抜けた。
ズザザザザー。
胸の前で両腕をクロスした態勢のままエディーは後方へ吹っ飛ばされた。
ガシャン!
ヘリポートの端の鉄柵に背中をしたたかに打ちつけて呻いた。
勢いで外へ曲がった柵にもたれかかった形のエディーの上半身が地上70mの中空にはみ出している。
そこへスダッチャーが地を這うスライディングキックを放つ。
ズザザー。
こいつを食らえば確実に地上へ蹴り落とされる。
エディーは間一髪柵から離れて上へ飛び、スダッチャーの追撃を避けた。
グァシャーン!
凄まじいキックは歪んでいた柵を粉砕した。
蹴り破られた鉄の柵が地上へ落下し、待機していた警官たちが慌てて退避する。
鉄柵は広がった警官たちの輪の真ん中に大きな音と共に落ちた。
スライディングキックが空振りし、外へ大きく飛び出したスダッチャーは辛うじてヘリポートに残る柵の一端を掴むや、腕一本で体を大きく振り、その遠心力でヘリポート内へ戻った。
ぐらぅ!
獣のような唸り声がスダッチャーの口から洩れる。
―――速い。速すぎる。
毒の作用でスダッチャーの体内エンジンの回転数はレッドゾーンすら振りきっているに違いない。
この状態で長く戦えば彼自身もダメージを受けるだろう。
―――速すぎて目で追っていてはついてゆけない。
エディーは半眼になってスダッチャーの姿をおぼろげに捉えた。
すべてを見ようとはすまい。
肩やつま先の僅かな動きはどうだ?
ゴーグルから立ち昇る炎のゆらぎは?
スダッチャーは闘気を隠そうとしない。
その気の動きを掴め。
飛来する拳や蹴りの圧を感じろ。
無意識のうちに意識するのだ。
シュッ!
パシッ!
右と見せかけて左の大外から飛来したフックをエディーの右手が掴んだ。
威力はまったく落ちていないが、スピードが乗り切る前なら吹き飛ばされはしない。
「よし!いける」
エディーはスダッチャーの見えない攻撃を止めた。
そこからエディーの心眼はひたすらスダッチャーの気の流れを追い続けた。
パンチかキックか?正面か側面か上からか?
そのうち、あまりにたくさんある攻撃オプションのチョイスをスダッチャー自身がほんの少し迷った。
そこにほんのわずかな気の乱れが生じた。
スダッチャーがまわし蹴りを繰り出した瞬間、エディーは敢えて蹴りに上体をぶつけて破壊力を相殺すると、懐に飛び込んで鋭いボディーブローを片足立ちのスダッチャーに撃ち込んだ。
凄まじい破壊力にスダッチャーの体が浮きあがる。
続いて鳩尾へストレート。前のめりになったスダッチャーの顎へひじ打ちを叩き込んだ。
ぐぅ。という呻き声をあげてスダッチャーがたまらず距離を取った。
それを追って顔面へワンツーを打つ。
形勢逆転だ。
助けるとはいえ、エディーはスダッチャーへの攻撃の手を緩めるつもりはない。
バトルはバトルだ。
「そうだろ、スダッチャー」
闘気を全身にみなぎらせて攻撃を続ける。
反撃のチャンスはやらぬ。
焦ったスダッチャーが無理矢理繰り出した右のストレートを敢えて肩のアーマで受けると、その勢いを駆って体を反転させ裏拳を左右の目の間に決めた。
凄まじい衝撃でスダッチャーの足元がふらつく。
―――今のお前は確かに凄い。
エディーは今の不完全な態勢からのストレートで破壊された肩のアーマに目を落とした。
―――だが、今のお前は。。。
「お前じゃない!」
エディーは僅かに腰を落とすと片方の足を軸にして体を回転させて、振り上げたもう片方のかかとをスダッチャーのこめかみにぶち当てた。
回転速度を落とさずにもう一発。
さらに。
さらに。
ズガガガガ!
何度も高速スピンを繰り返しながら繰り出す連続まわし蹴り。
エディーの必殺キック。
「撃渦烈風脚!」
その一撃一撃が巨岩も砕く破壊力を秘めている。
いったんこの蹴りの渦に巻き込まれれば抜け出すことは不可能だ。
そしてエディーのスピンが止まった時、その苛烈な渦の只中で棒立ちになっていたスダッチャーは、ゆらゆらと両腕を天に伸ばすと、虚空を掴んだまま仰向けにどぅと倒れた。
スダッチャーの黒いゴーグル・アイから立ち昇っていた黒い炎がフッと消えた。
エディーが胸に溜めていた息を「ふぅぅ」と吐いた時、背後から声がかかった。
「お疲れ様エディー」
エリスだ。解毒キットを携えてこちらへ走って来る。
「この下にストレッチャーを用意してあるからスダッチャーを運びましょう。隔離して体内に蓄積した毒を徹底的に抜かなきゃ」
そう言うとエディーを促して気を失っているスダッチャーを左右から抱え上げ、ヘリポートの階段を降りた。
<四>木のモンスターふたたび @
「それにしてもスダッチャーまでが暴れまくったのにはわらわも驚いたぞよ」
山の斜面に掘った薄暗い横穴の中で笑い声があがった。
間違いない。ヨーゴス・クイーンだ。
「ふぇっふぇっふぇ。確かにあれは面白い見世物であった」
今度は違う声だ。
こちらは紛れもなくタレナガースである。
どちらも耳を覆いたくなるような嫌な声だが、闇の中にいるため姿が見えないのがせめてもの幸いだ。
その姿をひと目見てしまったら最後、当分悪夢にうなされることだろう。
ヨーゴス軍団を仕切るふたりの魔人は、これからの悪だくみに思いをはせてしばらく楽しそうに語り合っていた。
木を狂わせる活性毒素はタレナガースにとって初めての試みであったが、思いのほかうまくいった。しかもその木を救おうとしたスダッチャーにまで効力が及ぼうとは思いもしなかった。
「我ながら誠に面白い毒液を開発したものよ。おそらくイーヴィル・ダークに溶け込んだ下級悪魔の性根がまだ生きておるからに違いあるまい。これは使いようによってはまだまだ楽しめるやもしれぬ」
「ほほう。そのイーヴィル・ダークとやらでもうひと騒動起こされるおつもりじゃな。いやいやそう来なくては。で、次はどんな手を打たれるおつもりじゃ?」
「当然新たなモンスターをこしらえる。動かぬ木ではつまらぬからのう。既に戦闘員どもに命じて近隣の山々から最もモンスターに相応しい立派な木を探させておる」
「うむうむ。やはりモンスターは人間どもを追いかけなくてはのう。そして人間どもは逃げ惑わなくてはのう」
「さすがヨーゴス・クイーン。わかっておるではないか」
ひょーっひょっひょっひょ。
ふぇーっふぇっふぇっふぇ。
ふたりの楽しげな悪だくみトークは夜明け近くまで続いていた。
カフェの奥の席では毎度おなじみのふたりが今日も顔を突き合わせていた。
「解毒剤の散布は進んでいるようだね」
エリスが精製した今回の木を狂わせる毒に対する解毒剤は、あらかじめ土壌に撒いておくことでワクチン的な働きをすることがわかっている。
あらかじめ各所に散布して木のモンスター化を抑止することに決まった。
「ええ。県警の科学センターで大量に精製して、ヘリと警官隊で空と陸から立体作戦展開中ってとこね」
「徳島県の広大な森林地帯を網羅するほどの勢いみたいだけど、なかなかそうもいかないだろうね」
「それは無理ね。とりあえず市街地を優先的に散布してもらって、山間部の集落付近は地元の警察署や場合によっては消防署にも協力してもらっている状況よ」
突然目の前の樹木が気味悪い叫び声と共に黒い毒花粉を噴き出すような事態が街中で起これば大パニックとなる。
県警と相談して、里山や街路樹、公園など人の生活圏に近い場所から順にこの解毒剤を散布しようということになっていた。
「それでもまたあの木のモンスターが現れた場合は、俺たちの出番という訳だね」
エリスは無言で頷いた。
「まったく、警察の皆さんだって通常業務だけでもいろいろ大変なのに、余計な手間と経費を使わせてくれるぜ」
「本当よ。タレナガースのヤツ、今度会ったらギッタンギッタンにしてやってね」
「おうよ。任せとけ」
青い。。。
前後左右すべてが青い。
しばらく周囲を窺っていると、青い光が周囲に満ち満ちているのだと気づいた。
まるで音の無い深い海の底にいるようだ。
―――オレ様はどうなっているんだ?立っているのか?寝っ転がっているのか?
スダッチャーだ。
この青い光には覚えがある。
居心地は悪くない。
体の中の悪いものがこの光に溶かされて体から抜けてゆくのがわかる。いくら抗っても自分の体の中へ中へと入り込んできた黒い毒が今はすっかり消えているのがわかる。
―――そうだ。これは渦のエナジーだ。
この部屋のしくみはおそらくエリスがしつらえたものだろう。
ありがたい。
ただし、この清浄なエナジーは自分の体にはもうひとつしっくりこない。
悪くはないんだけど、なんというか。。。
綺麗すぎる。
清純すぎる。
―――エリスちゃん真面目だからなぁ。
その時、どこかから声がした。
「目が覚めたのねスダッチャー。気分はどう?」
「。。。エリスちゃんか?」
世話になった。
また迷惑をかけたのかなぁ。
たぶん、いや、きっとやっちまったんだ。
「あなたの体からヨーゴス軍団の毒が完全に抜けきるまであと少しだから、もう少しここで我慢してね」
「んんん、もう大丈夫だよ。毒の影響もないってば。だから出してよ」
「我慢しなさいっ!」
「はい!」
エリスちゃんには弱い。どうしてもノーと言えない。
はぁ、退屈だ。
せめて誰かとバトルさせてくれないかなぁ。。。させてくれないよなぁ。
「そうだ。杉のじいさんに報告しなきゃ。黙って飛び出してきたから心配してるんじゃないかな」
スダッチャーは意識を飛ばそうとしたが杉のじいさんの意識が掴めない。
この部屋のせいか。
渦のエナジーが外へ流れ出ないように何かで密閉してあるのだろう。
「出してもらえるまで待つしかねぇか」
スダッチャーはその場でうぅんと背伸びした。
キッキキキー(デカい木見つけた)
キピピー(本当だ)
キキキュイキキプップー(抜け抜け引っこ抜け)
キキキューキッキキキュー(タレナガース様お喜び)
キーキーキュイキュイキキープー(それ抜けヤレ抜け)
〜あああ、これ、何をするのじゃ〜
誰かがもがいている。
〜放せ。儂をどうするつもりじゃ。ああああ、根を、根をそんなふうに。やめぬか!〜
この声には聞き覚えがある。
〜やめてくれ。助けてくれ。。。スダッチャー〜
「じいさん!」
スダッチャーは跳ね起きた。
夢か。
「へぇ、オレ様も夢を見るんだなぁ。。。って、いやそうじゃない。今のは間違いなく杉のじいさんだ。じいさんに何か災難がふりかかっているに違いないぜ」
スダッチャーは急に不安に苛まれた。
杉のじいさんは大事な人だ。
何か大変なことがおこったのなら手を差し伸べてやりたい。助けてやりたい。
スダッチャーは改めて周りを見た。
ここはまだ青い渦エナジーの部屋だ。
エリスは今日ここから出すと言っていた。だがもう待っていられない。
「出せ。ここから出せ。今すぐ出してくれぇ!じいさんが危ないんだ」
複合ショッピングセンター「サーフモール」は間もなく開店の時間だ。
ところが朝イチで来店した客たちは皆、目を丸くして足を止めた。
そこに見たものは、100台近く停められる駐車場のほぼ真ん中にドーンと仁王立ちしている巨大な杉の木であった。
「こんな所に木、植わってたか?」
「いや無かった。ワシ昨日来た時、あの木のあたりに車停めたもん」
「誰じゃあんな所にデカい杉の木植えたんわ?」
「いや、植えたんと違うぞ。見てみいあの跡」
客のひとりが指さす所には、大量の土がまるで川のように連なっている。まるでこの大きな杉の木を引きずってきたかのようだ。
「第一ここはコンクリートの駐車場やぞ。こんな大きな木を植えるっていうても。。。」
そう言いながら木の根に視線を落とすと、まるで複雑に伸びたタコかイカの足のように根がコンクリートをガッシリと捉えている。
土に根を張るのではなく、地表に根を広げて立っているではないか。
「こんな木初めて見たわ」
と言ってしげしげと太い幹を眺めていると、客の目の前の幹にポッコリと丸い目が現れてその客を睨みつけた。
「ひっ」
肩をすぼめてその目を見返していると、その下の当たりの幹がメリメリメリと横に裂けた。
そしてにぃぃと口角を上げると、悪魔の如き叫びをあげた。
ヴォオオオオオオオ!
「ひぃぃ!」
「モ、モンスター!」
駐車場にいた客たちが腰を抜かさんばかりに驚いたその時、頭上からおびただしい量の黒い雪が降ってきた。
見上げると30mほどもある杉のてっぺんから、まるで間欠泉のように断続的に黒い雪状のものを噴き出している。
「これって、こないだのフォレスト・パークのヤツとちがうか?」
「そうだ。木のモンスターだ。ニュースで見た。これは毒の花粉だ!」
うわあああ。
ようやく事態の重大さに気づいた客たちはクモの子を散らすように逃げ出した。
ある者は自分の車へ。ある者はまだシャッターを閉じたサーフモールの建物へ走った。
だが、誰も思う所へ辿り着けはしなかった。
吐き気と目まいで足がふらつき始めると、皆次々と地面に膝をつき、そして倒れてしまった。
やがて開店準備のためにシャッターを上げた店員たちもこの騒動に気づき、入り口近くに倒れている人たちに駆け寄った。
しかし盛大に噴き出される毒花粉は店員たちの上にも降り注ぎ、被害は益々拡大していった。
開店直前になって事務所から警察と消防に通報がなされた。
約5分後、2台のパトカーと警官隊を乗せた青いバスが1台やって来た。
駐車場へ続く導入路には規制線が張られ、サーフモールの駐車場は物々しい雰囲気に包まれた。
その後方には救急車が控えている。
駐車場にニョッキリと立つ杉の巨木の周囲にはお客と店員合わせて12人が倒れて苦しんでいる。
状況は深刻だ。
「救助チーム前へ」
隊長の号令で、フードが付いた厚いカッパを着て透明の防護盾を構えた警官隊が黒い花粉の舞う危険エリアへと小走りで進んだ。
倒れている人たちの体にはかなりの花粉が積もっている。
「急げ!一刻の猶予もないぞ」
隊長の声に警官隊は皆一斉に駆け出した。
ふたりでペアを組み、ひとりが被害者を担ぎ、もうひとりが防護盾をふたつ屋根のように並べて自分たちを覆うようにして並んで走る。
なにせ敵は動かない。
睨みつけようが叫ぼうが、要はこの黒い花粉さえ防いだらよい。
あとは署から持参したエリス特製の解毒剤を撒けばよい。
やるべきことは全員がわかっている。
その時。
メリメリメリメリ。
妙な音がして今の今まで駐車場の上に踏ん張っていたモンスターの根っこが動き出したではないか。
「何だと?」
救助活動中の警官隊は驚いてそのようすを見ている。
そして、30mの巨大な杉の木モンスターはブルンと幹を震わせるや、ついに動き始めた。
「う、うわわ。木が動いたぞ」
「隊長、自分たちを狙っています」
「い、いかん。退却だ。退却しろ」
巨木のモンスターの幹には今やたくさんの目玉がボコボコと浮き出ていて、ひとつひとつが周囲の人間たちを恨めしそうに睨みつけている。
メリメリメリ。
ビタンビタンビタン。
四方に伸びた根っこがまるで意思を持った動物のように跳ねている。まるでタコの足だ。
ヴォヴォヴォヴォヴォオン!
移動し始めた木のモンスターは幹からウネウネとうねる4本のムチ状の枝を伸ばし、地面に倒れている被害者をすくい上げるように絡めとった。
ひとり、またひとり。
そして救援活動中の警官もひとり、その枝に捕らえられた。
「くそ!こんな報告は受けておらんぞ」
「敵が移動するならここも危険です。後方へさがってください」
駐車場の端では警察がテントを建てていた。危険エリアから運び出された被害者たちが救急搬送されるまでの間に応急処置を施すためのテントだ。
木のモンスターが降らせる毒花粉の降り方を考慮して決めた場所であったが、木そのものが移動するのなら離れていても駐車場内は安全とはいえない。
あの巨木に襲われたらテントのひとつやふたつあっという間に破壊されてしまうだろう。
現場はにわかに慌ただしさを増した。
「解毒剤を吹きかけてやれ。散布用ドローン用意!」
ここの警察署にも県警本部からエリスが調合した解毒剤がトラックで送られてきていた。
地元の山林や街路樹にかなり散布したが、幸いまだたくさん残っている。
12リットルのタンクを擁する農業用ドローンに解毒剤を詰め込んでモンスターの真上から散布を開始した。
「くらえモンスターめ」
おかげで黒い毒の花粉はたちまち無力化したが、この攻撃は木のモンスターの怒りに火をつけた。
木のモンスターは絡めとっていた人たちを四方に投げ捨てて樹上のドローンを捕まえようと枝を伸ばした。
ヴォッヴォッヴォヴイイイイイ!
駐車場に転がされて呻く人たちを助けようにも木のモンスターがどう動くかわからないため警官隊は迂闊に動けない。
バチィン!
「しまった!」
解毒剤をよりたくさん噴霧しようと近寄りすぎたのか、不意に伸ばされたムチのような枝にドローンを弾き飛ばされてしまった。
吹きかけられた解毒剤は木の幹の表面を流れ落ちるだけだ。
うまく内部に浸透させられず、十分な効果を得られていない。
「くそ、大してダメージを与えられてはいないようだな」
警官隊の隊長は歯噛みした。
サーフモール駐車場に木のモンスター出現の報を受けた時、敵がわずか1体であると聞いた隊長は30分とかからずケリをつけてやると意気込んだ。
だが、実際は困難を極めている。
隊長はここで初めてEアラートを発動した。
<五>木のモンスターふたたび A
今や黒い毒の花粉は勢いよく樹上に噴きあげられていた。
空高く舞い上がった毒花粉は風に乗ってより遠くまで運ばれてゆく。
大変な事態となっていた。風下の町へは警察や役場からあらゆるメディア、SNS、防災無線などを通じて外出を控えるよう警告が出された。
ヴォムヴォモオオオ!
エディーとエリスがサーフモールに到着した時、木のモンスターは駐車場を出て一般道へ出ていた。
サーフモールの鉄柵が約20mに渡って押し倒されている。もの凄い馬力であることが伺われた。
「本当だ。動いているぞ」
「それにあの毒花粉の勢い。タレナガースのヤツ、かなりパワーアップさせてきたわね」
ヴォヴォオオオオム!
10個近くもある目が一斉にエディーとエリスを睨みつけている。
駐車場では数台の車がひっくり返されて腹を上に向けている。
この暴れ方はもはや猛獣系モンスター並だ。
木の表面にエリスの解毒剤を吹きかけただけでは流れ落ちてしまってダメージを与えられないことは警官隊から報告を受けている。
かといってこのあたりはずっとコンクリートやらアスファルトで舗装されている。土壌に解毒剤を撒いても効果は期待できない。
「エディー・ソードで斬りつけるのが一番手っ取り早いんだけど。。。」
「モンスターとはいえ、木を傷つけないとスダッチャーと約束したものね」
「そういうことだ。スダッチャーが見ていないからといって切ってしまうというわけにはいかないよ」
「そうなると残された方法は私たちの渦エナジーね」
ううむ。
その渦エナジーをどうやってあの木のモンスターの内側に注ぎ込むか。
「最低限エディー・ソードを幹に刺し込まなくちゃ無理だな」
「仕方ないわね」
「いやダメだ」
「ダメかやっぱり。。。ええ!?」
いつの間にかふたりの背後に立っているのは。
「スダッチャー」
「びっくりした」
スダッチャーは挨拶もせずふたりの前に出た。
「スダッチャー、もう大丈夫なのか?」
「スダチのエナジーは満タンなの?無理して戦えばまた。。。」
「心配してくれてサンキューな。だけどオレ様のことはいい。それより。。。」
スダッチャーは眼前で暴れているモンスターを指さした。
「あれは杉のじいさんなんだ」
「ええ!?」
ふたりは驚いて言葉を失った。
杉のじいさんは先日、スダッチャーを救いたい一心で木々のパワーを集めてヒロとドクにアプローチしてきた。
あの穏やかに語りかける老木の「声」をよく覚えている。
「あれが。。。あの優しいおじいさん。。。まさか、でもどうして?」
「タレナガースはここいらで一番大きくて立派な木を探していたらしい。知り合いの木はみんな怯えていたからな」
「そうか、それで杉のおじいさんに目をつけたってわけか」
「ひどいことを」
エディーとエリスの心にふつふつと怒りが湧いてきた。
杉のじいさんを慕うスダッチャーの心中はいかばかりか。
「またオレ様が中に入る。それしかない」
「無茶だ!」
モンスター化してしまった杉のじいさんめがけて走り出そうとしたスダッチャーの腕をエディーが押さえた。
「放せエディー。杉のじいさんを助けたいんだ。邪魔するとお前でもぶっ飛ばすぜ」
「わかっている。オレだって助けたい。だけどそのままじゃ無理だ。この間の二の舞になるぞ」
「うっせぇ、放せよ!」
それでもエディーの腕を振り払おうとするスダッチャーの横っ面をエリスが張り飛ばした。
パァン!
いい音がしてスダッチャーがストンとお尻を地面に落とした。
「エ、エリスちゃん。。。」
スダッチャーは頬を抑えて呆然とエリスを見上げている。
毒気が抜けていた。
「スダッチャー、落ち着いて私たちの話を聞いてちょうだい。気持ちはわかるわ。私たちも同じだもの。絶対に杉のおじいさんを助けましょう」
「うん。でも、どうすればいいんだよ?」
「相手はこの間の杉の木よりもはるかに大きいわ。当然中に蓄積している毒液も大量だし、あの暴れっぷりを見てもわかる通り、前よりはるかに凶悪で複雑な毒液に改造されているはずよ。いくらあなたでも到底敵いっこない」
「だからどうすれば?」
エリスは答える代わりにスダッチャーの顔をじっと見つめるとニヤリと笑った。
「すぐ拒絶反応は起こらないはずよね。災い転じて福となすって言うじゃない」
ヴォオオオオオオ!
近づくスダッチャーの姿を見て木のモンスターはいっそう猛り狂った。
枝のムチを振り回しながら耳障りな叫び声をあげてスダッチャーを威嚇する。
足代わりの根っこをせわしなく動かして器用に移動しながら路上に停めてあった自転車を枝で掴んでスダッチャーめがけて投げつける。
「やめろじいさん!オレ様だよ、スダッチャー様だ。鎮まってくれよ」
ヴァウオオオ!
スダッチャーの心からの呼びかけは逆効果だったようだ。一層幹を震わせるや、枝で傍らの道路標識を引き抜くとスダッチャーめがけて投げつけた。
ガシャァァン!
素早く飛びのいたものの、スダッチャーはギリリと歯ぎしりした。
「だめか。。。じいさん、オレ様のことももうわからなくなっちまったんだな」
スダッチャーは悔しそうにつぶやくと、真上から振り下ろされた枝を素早くかわすと幹めがけてダイブした。
入るやいなや、スダッチャーの体は洗濯機に放り込まれた洗濯物のように縦に横に斜めに回転した。
そこでは墨のように黒くタールのように粘りつく毒液が激流となっていた。
「うわわわぁ、何だこりゃ?じいさんの内側はこんなことになっているのか。。。こりゃ前のヤツより格段に酷いぜ」
はじめのうちはクルクル回るのが面白くて能天気に楽しんでいたのだが、毒液はすぐにスダッチャーに襲いかかった。まるで異物を駆逐しようとする白血球のようだ。
全身にとりつき、さらにスダッチャーの内部へ侵入しようとしてくる。
「うう、いけねぇ。遊んでいる場合じゃねぇな」
スダッチャーは胸のコアに触れた。
そこにはいつものスダチ・コアの上にもうひとつ、逆三角形の青いコアが装着されていた。
エディー・コアだ。
「まず、あなたに渦のエナジー・コアを装着してあなたのエナジーを緑から青に変える」
ここへ潜る前にエリスがそう言って胸につけてくれた。
スダッチャーは意識を胸のコアに集中させて渦のパワーを感じた。
「さぁ、渦のエナジーよ。オレ様の体内を駆け巡れ。体の隅々まで浄化してくれ。こんなうすぎたねぇ毒なんかに好き勝手させちゃダメだ!」
もともとスダッチャーが持っているスダチのエナジーと渦のエナジーは、しばらくは水と油のように分離していたが、やがて古い友達の顔を思い出したかのように少しずつ混じり合い、最後には緑のスダチエナジーが新参の渦エナジーに座を譲るかのように引くとスダッチャーの体内に青い渦エナジーが満ち溢れた。
全く異質のエナジーを急激に体内に巡らせると、いくら清浄な渦のエナジーといえども拒絶反応を起こしてスダッチャーは行動不能に陥る恐れがある。
しかしつい先日、スダッチャーは全身にどっぷりと浴びたタレナガースの毒液を一掃させるためにエリスが設えた渦エナジーの部屋で何日も眠っていた。
そのおかげで渦エナジーへの耐性がかなり上がっているはずなのだ。
スダッチャーはエリスの言葉を思い出した。
災い転じて福となす。
「『技回転してフルパワー!』か。なんだかわからないけどいい言葉だぜ!」
うおおおおおお。
スダッチャーの闘気が体内のエナジーをより活性化させパワーを増幅させた。
その時木の内部に叫び声が轟いた。
「やめろおおおおおお!」
耳をつんざく大音響だ。
うわわ。
スダッチャーは耳を押さえた。
「出てゆけええええ!」
凄まじい大音量の叫び声は脳を揺さぶるようだ。
「貴様ああああ!殺してやるぞおおお!」
その呪いの声はまるでスダッチャーを殴りつけてくるようだ。
「じいさん、やめろ。正気を取り戻してくれ」
スダッチャーはあらためてエディー・コアを両手で包み込むように触れて、あの穏やかで優しい杉のじいさんをイメージした。
心を静めて渦のエナジーの流れを整える。
やがて杉のじいさんの内側を激流となって巡る活性毒素にかすかな乱れが生じた。
スダッチャーの体から発散された青い渦のエナジーが楔となっているのだ。
エナジーの青き楔は次第に連なってダムとなり、毒の流れが次第に滞ってきた。
ぐううううおおおお!
じいさんの声が苦しそうになってきた。
「いいぞ。次はこの毒液をじいさんの外へ押し出すんだ」
渦のエナジーはスダッチャーの気力に応じてエアバッグのようにブワッと広がり毒液を木の外へと押し出し始めた。
ボトボトボト。
樹皮を通してどす黒い毒液が外へ流れ出してゆく。
やめろおおおお!
苦し気な叫び声が大音量で鳴り響いた。
「我慢してくれじいさん。もうすぐ元に戻してやるからな」
毒液の流れはかなり緩やかになり、細かく痙攣し始めた。まるで激しく揺さぶられるトレイの上で震えるゼリーのようだ。
―――いける。
杉のじいさんを助け出せると確信したその時。
「。。。スダッチャーよ」
声がした。
エディー・コアに意識を集中させて渦のエナジーを最大限活発化させていたスダッチャーはハッとした。
「じいさん!?」
それはあの杉のじいさんの声だ。いつものあの声だ。
「じいさん。オレ様がわかるのか?元に戻ったんだな?」
スダッチャーは歓声を上げた。
「苦しい。。。苦しいのじゃ。もうやめておくれ」
じいさんは泣いていた。
スダッチャーは慌てた。
大切なじいさんが泣いている。
助けを乞うている。
スダッチャーはエディー・コアから手を放すと渦のエナジー放出を止めた。
しかし杉のじいさんの苦しそうな呻き声は続いている。
「お前の中にまだ青いエナジーがあるではないか。お前がここにいては、儂は苦しいままだ」
「そ、そうか。よし、ここから出るよ。すぐ出るよ」
そう言うとスダッチャーは大急ぎで杉のじいさんの中から飛び出した。
「スダッチャー。どうしたの?渦のエナジーが苦しかったの?」
外でようすを窺っていたエディーとエリスが驚いてスダッチャーに駆け寄った。
杉のじいさんの周辺には流れ出した大量の黒い毒液が溜まりを作っている。
しかし、フォレスト・パークの時に比べるとその量は少ない。特に杉のじいさんの大きさから考えてももっともっと大量の毒を吐き出さねばならぬはずだ。
スダッチャーは途中で木の外へ出てきたとしか思えないのだ。
だがスダッチャーはいかにもやり遂げたという口ぶりだ。
「どうだい、やったぜ。杉のじいさんは正気に返った。もう大丈夫だ」
スダッチャーのことばにエディーたちは杉のじいさんを見上げた。
確かに今は動きを止めている。花粉も落ちてこない。たくさんの目玉も消えて幹に出来たうろになっている。
杉のじいさんを守るためならスダッチャーは命を懸けるだろう。中途半端で飛び出してくるはずはない。彼が大丈夫だと言うなら大丈夫なのだろう。
―――だけど本当に大丈夫なのか?
その時。
ヴォオオオオオウオオオオオオ!
沈黙していた杉のじいさんが再び叫び声をあげた。
四方に張り巡らせた根っこが大きくうねり、4本の枝が触手のように伸びた。
「あ!よせじいさん。何をするんだよぉ。大丈夫って言ったじゃないか!」
スダッチャーが駆け寄ろうとしたが、その時ボコボコと音を立てて幹のあらゆる所に再び丸い目玉が開いた。その目玉が一斉にスダッチャーを睨みつけて枝の触手を振り回して接近を阻んだ。
「くそ。やっぱりまだ完治していなかったのか」
「じいさん、オレ様を騙したのか?」
「違うわ。悪いのはおじいさんじゃない。全部毒のせいよ。ヨーゴス軍団のせいよ」
エディーもエリスも何とかしたかったが、彼らには木を切り倒すしか手段がないため、木の内部に潜り込めるスダッチャーの能力に頼るしかない。
その時、巨大な杉の木を包み込むほどの黒い霧のようなものが流れてきた。
「むっ、これは!?」
エディーが身構えると同時に、あのいやらしい笑い声が聞こえてきた。
ふぇ〜っふぇっふぇっふぇっふぇ。。。ふぇごほっごほっ。
「タレナガース、とうとう出てきたな」
「ああ鬱陶しい。むせるほどふんぞり返って笑わないでくれる」
杉の巨木の背後から悠然と3人の前に歩み出た異形の魔人。
額から伸びるツノ。
眼球の代わりに黒い炎を湛える眼窩。
頬を突き破りそうなキバ。
道路を吹き渡る冷たい西風にひるがえる縞模様のケモノのマント。
「どうじゃ。普段見過ごされがちな木をモンスター化させる余の計画。恐れ入ったであろう。っとっと」
さらにふんぞり返って後ろへよろける。
「まったく。恐れ入るわ」
エリスの怒りに火がついた。
「木はね、二酸化炭素を吸収して酸素を供給してくれる大切な存在なの。ほかにも水を保ち、土をがっちり守る。私たちを取り巻く環境には必要不可欠なの。それを、それを、それを、馬鹿な事やってんじゃないわよ!」
「けっ、二酸化炭素も酸素も水も土も、どうなっても余には関係ないわい」
むきー!
タレナガースがお尻ぺんぺんをしたところでエリスの怒りはレッドゾーンを突き抜けた。拳を振り上げて殴りかかろうとするのをエディーに押しとどめられた。
「エリスの分までオレがぶん殴ってやる。さぁかかって来いタレナガース」
「いいやエディー。今回はオレ様に譲れ。杉のじいさんや毒に侵されたほかの連中の仇を討たなきゃ気が済まねぇ」
エリスの前に出たエディーを更に推しとどめてスダッチャーが前へ出た。
「ふん。余に相手をせよじゃと?100年早いわ。貴様らの相手はこの大木モンスターじゃ。ほぉれ」
そう言うとタレナガースはケモノのマントの中からドッジボールほどもある黒く光る玉を取り出すと、背後で忠犬のようにじっと控えている杉のじいさんの口の中へポイと放り込んだ。
「あ、何をした!?」
「まぁ見ておれ」
笑うタレナガースのシャレコウベづらを睨むこと数瞬。
杉のじいさんの樹冠からどす黒いあの毒液がタラリタラリと流れ出した。それは幹や枝のあらゆる所から染み出して根っこへ向かって流れ落ちた。
ひとつの流れは下の流れに追いついて合流し、隣の流れとも合流してさらに太い流れとなりながら幹全体を包み込んでゆく。
杉のじいさんの大きな体はすっかり黒くコーティングされてしまった。
黒い液体まみれで白い眼玉だけがぎょろりと周囲を睥睨している。
「じいさん、どうなってるんだ」
スダッチャーは更に酷い姿になってしまった杉のじいさんを見て狼狽した。
「もう一度オレ様が助けてやる」
「あ、ダメ!」
エリスの制止を振り切ってスダッチャーは再度杉のじいさんの中へ潜り込もうとダッシュした。
バチン!
だがスダッチャーはものの見事にはじき返されて路上にひっくり返った。
「な、なんでだよ。外側が堅くてじいさんの内部へ入れない!?」
「あの樹皮を覆う毒液のせいだわ。流れ出した毒液が固まってまるで鎧みたいにガードしているのよ」
エリスが助け起こしながらスダッチャーを後ろへ下がらせた。
「状況が激変したわ。うかつに動いちゃダメ」
エディーがエリスとスダッチャーを庇うように前へ出た。
「お前、杉のじいさんに何をした?」
「ふぇっ。知れたこと。余が新たに開発した毒液「イーヴィル・ダーク・プレミアム」を圧縮してこやつの内部に放り込み、一気に爆発させたのよ。今こやつの体は内も外もイーヴィル・ダークで満ち満ちておる。しかも今度のプレミアムは大気に触れるとカチンコチンに固まるというスペッシャルな特徴を持っておる。スダッチャーといえども外から入り込むことなど不可能じゃ」
「なんだと。。。じいさんを丸ごと毒漬けにしちまったのかよ」
ヴァヴォオオオオオィ!
杉のじいさんが突然吠えた。
真っ黒い幹にボッコリと浮かび上がるすべての白い目が憎しみの眼差しをエディーたちに向けている。そして引きちぎったようなギザギザの口が大きく開いて耳を覆いたくなるような叫び声をあげた。
「これは、まるで悪魔が乗り移っているみたいだわ。。。」
エリスのつぶやきが耳に届いたのか、タレナガースはシャレコウベづらを歪めて笑った。
「左様。このイーヴィル・ダークには下級じゃが本物の悪魔が一匹溶け込んでおるからのう」
「何ですって?悪魔が。。。」
「悪魔そのものは大釜で毒と共に煮つめられて既に溶けてしまったが、陰険でねじくれた性分だけはイーヴィル・ダークにしっかりと根づいておるわさ」
「なるほどね」
エリスはずっと抱えていた疑問が氷解した思いだった。フォレスト・パークでこの毒の解毒剤を精製していた時に感じた嫌な異物の感覚の正体はこれだったのだ。
ただの毒液が木をここまで醜く変貌させるものだろうかと思っていたが、そういうことか。
「悪魔みたいな毒液だと思っていたけれど、文字通り悪魔の毒液だったってわけね」
「ふぇっふぇっふぇ。そぉれイーヴィル・ダーク・プレミアムで守られたモンスターよ。悪魔の本能に導かれるままに暴れよ!」
ヴァッヴァッヴァヴァアアアア!
ガガン!
メリメリメリ!
ガシャァァン!
背の高い杉の木は移動するたび道路標識や信号機にぶち当たってはそれらをへし折った。
さらに駐輪場に並べて停めてある自転車が派手な音を立てて跳ね飛ばされ、そのうちの何台かが道沿いの店舗やビルに激突してガラスを粉砕した。
なにせ相手は樹高約30mの巨木だ。もはや怪獣といっていい。
警官隊がこのエリア一帯を緊急封鎖したため歩く人、通りかかる車とて無いがこのままでは街は滅茶苦茶になる。
「じいさん、やめろ!」
スダッチャーがエリスの腕を振りほどき駆け出した。
街路樹の枝を一本手折ると呪文を唱え、必殺のスダチ・ソードを出現させた。
杉の木モンスターの方もたくさんある目のひとつがその姿を捉えていて、一番太い枝をムチのようにしならせてスダッチャーを攻撃した。
「おっと。うわ。おいじいさん、やめろ」
アクション俳優も舌を巻く素早い身のこなしで枝の一撃を避けながら、スダッチャーは杉の木モンスターの懐に潜り込むとスダチ・ソードを振るった。
ズガガーーーン!
鼓膜を突き抜ける大音響と共に爆発が起こり、杉の木モンスターの表面を覆っているイーヴィル・ダーク・プレミアムのコーティングが直撃部分を中心に大きく剥がれた。
「よし」
そこへすかさず飛び込もうとジャンプしたスダッチャーはガキン!と鈍い音と共に再びはじき返された。
「あいたたた」
見ると、剥がれていた部分の樹皮は既にもとの黒く堅い毒液の鎧に覆われているではないか。
「くそ。もう一度だ」
ドガァァン!
ガキィン!
「いってぇ」
さらにもう一度。
しかし何度やってもスダッチャーが木の内部へダイブするより早くイーヴィル・ダーク・プレミアムが樹皮から溢れ出して、爆発で吹っ飛んだ毒の鎧の穴を埋めてしまう。
「くそ。どうしてもダメだ」
ヴァオオオオオオン!
ビシッ!
「うわっ」
長い枝がスダッチャーの死角から飛来して背中をしたたかに打ち据えた。
「スダッチャー、大丈夫か」
ようすを見ていたエディーがさらに襲い来る枝を払いながらスダッチャーを間合いから引き離した。
「くそっ、くそっ!ワンテンポ遅れる。なんとかならないのか?」
挫けぬ超人が泣きそうだ。
エディーもエリスもその気持ちを思うと胸が締めつけられる思いだ。
バキバキ!
メリメリメリ!
異様な音がして3人は視線をそちらへ向けた。
杉の木モンスターが街路樹をなぎ倒していた。
「な!?信じられない。。。じいさんが木を、仲間の木をあんなふうにへし折るなんて」
スダッチャーはなすすべもなく呆然とそのようすを見ていた。
「違うわ。おじいさんが悪いんじゃない。すべて悪魔の毒液がやらせているのよ」
「それでももう。。。本当にもう。。。オレ様の知っている杉のじいさんじゃなくなっちまったんだな」
しばらく俯いていたスダッチャーだったが、小さな声でボソリと呟いた。
「やってくれ、エディー」
「なんだって?」
聞き返すエディーの顔を見上げてスダッチャーは絞り出すように言った。
「ああなってしまってはもうダメだ。頼むエディー。お前のやり方でケリをつけてくれ」
「そんなこと言うなよ。お前らしくないぜスダッチャー」
「そうよ。まだ何か方法が。。。」
スダッチャーはじっと杉のじいさんを見つめている。
「もういいんだ」
黒い毒液を全身にまとって街を破壊する巨木のモンスター。
もとは仲間の木々を慈しみ、スダッチャーを慈しむ心優しい老木であった。
それをあの魔人が醜い姿に変えてしまった。
「止めてやってくれよ。じいさんだって泣いているに違いないんだ。なぁエディー、頼むよ」
拳を堅く握っている。
「。。。頼むよ」
スダッチャーは腹を決めていた。杉のじいさんを思って手をこまねいていても、街の被害を拡大させ、じいさんを苦しめるだけだ。
「わかった」
エディーも同意した。
同意するしかないではないか。
こんなつらい仕事をスダッチャーにさせるわけにはいかない。
「エディー・ソードで決める」
「待って。まずあの毒のコーティングを何とかしなきゃ。一撃で決めないとおじいさんに余計な苦しみを与えるわ」
「だったらまずオレ様が行く」
エディーとスダッチャーは頷き合った。
杉のモンスターは太い根をうねらせて東へ向かっている。
根に抉られて舗装道路はガタガタだ。
前方に歩道橋が見えた。
この勢いでぶつかれば、歩道橋は破壊されて吹っ飛ぶに違いない。道路わきの家屋にもどんな被害が及ぶかわからない。
スダッチャーが倒された街路樹から枝を一本手折ると再びスダチ・ソードを錬成させた。
「いくぞエディー。チャンスは一瞬だ」
「オッケー。存分にやってくれスダッチャー」
ふたりがダッシュする。
前衛にスダッチャー、その真後ろにエディーが続く。
―――じいさん、ごめん。
ヴォオオオオオムン。
背後に殺気を感じたか、杉のモンスターは振り返るや高速で駆けよるスダッチャーとエディーを不気味な叫びで威嚇した。
間合いに入るや、枝が振り下ろされてふたりの体を打ち据える。
無数の目玉が憎しみの視線を送る。どんなに俊敏に動いてもふたりの動きは確実に捉えられている。
ビシッ!ビシッ!
巨大なムチに引き裂かれるような激痛の中をふたりは駆ける。
スダッチャーが跳んだ。
おりゃあああ!
ズガガ――――ン!
スダチ・ソードが幹の中ほどにぶち当てられて大音響と共に爆発した。
凄まじい炸裂だが、表面の毒のコーティングが弾け飛んだだけで肝心の幹本体は無傷だ。
スダッチャーは爆発の反動で後方に飛ばされた。
その隙に毒液のコーティングが再び露出してしまった樹皮を覆ってゆく。
―――また失敗だ。ざまぁみろ。
たくさんの目が落下するスダッチャーを見てにぃやりと笑った。
だがその時、後方から竜巻の如き何かが来た!
高速で回転するそれは青く光る丸ノコのようだ。
「くらえ!」
ザシュッ!
ギュルルルルゥゥゥン!
決着は一瞬でついた。
まだ毒液のコーティングが完了していない、むき出しの樹皮に青く光るチップソーが食い込むや、太い幹を一気に切り裂いて反対側へ抜けたのだ。
シュタッ。
着地したその回転する何かは、青い光のソードを脇に固定したまま高速回転したエディーであった。
エディー・ソードによる斬撃をより効果的にするために、まずスダチ・ソードによる爆裂で毒液のコーティングを吹き飛ばし、その直後にエディーが続いたという訳だ。
スダッチャーを笑っていたモンスターの目が一斉に大きく見開かれ、やがてグルンと白目に変わった。
ズズウウウウン!
大音響と共に杉の巨木が倒された。
スダッチャーは逆光の中で高速回転するエディーを見ていた。
技回転してフルパワー。
そうか。あれはこういうことだったのか。
エディーはやっぱり強いなぁ。
オレ様もエリスちゃんの言うように戦えるようになったら。。。
「杉のじいさんを助けられたのかもしれないなぁ」
スダッチャーは横倒しになった杉の巨木を見下ろした。
切り口からはドクドクと黒い液体が流れ出ている。
不思議と無感情な自分に少しだけ驚いた。
切り倒された木の上部からイーヴィル・ダーク・プレミアムのコーティングがポロポロと剥がれ落ちてゆく。
ビュン!
それでも最後の抵抗か、一本の枝が傍らに立っているスダッチャーに襲いかかった。
ドゥン!
スダッチャーは無造作にもう一度スダチ・ソードをひと振りしてその枝を四散させた。
見ると、切り株から毒液が川の水源のようにプクプクと噴き出している。
エディーはエディー・ソードにさらに渦のエナジーを注ぎ込むと、限界まで青い光を湛えた剣を毒液が沸き上がる株の切り口に深々と突き刺した。
ヴァアアオオオオン!
それは杉のモンスターの断末魔だった。
叫び声と同時にふたつに切り裂かれた切り株と倒された木の上部が同時に発火した。
ブォウ。
エディー・ソードを通じて注ぎ込まれたおびただしい量の渦のエナジーに反応してイーヴィル・ダーク・プレミアムが炎を発したのだ。
「アチィ」
「すごい高熱だ。オレ達でも危ないぞ。さがれスダッチャー」
まるで導火線を走る炎のように鋭い火が杉の木全体をあっという間に包み込む。
すると、炎の中から黒く大きな顔が沸き上がった。
ああああああああああああ。
苦悶の表情だ。
恨みの表情だ。
「悪魔だ」
目を見開いて口を限界まで開けて空に浮かび上がった悪魔の顔は、杉の木もろとも炎に巻かれてやがて炭になって地に落ちた。
カサカサササ。。。
強い西風にあおられて、巨木の炭は乾いた音と共に形を失って霧散した。
高熱のせいで路面に長く焼け焦げの跡が残っている。
その傍らにしゃがみこんだスダッチャーは焦げ跡を指でそっとなぞった。
「じいさん、すまない。助けてあげられなかった。。。」
うなだれるスダッチャーの肩をエディーがポンと叩いた。
「やれることはやった。杉のおじいさんもわかってくれると思うぜ」
「そうよ。今となってはあなたに感謝しているはずだわ」
エディーとエリスの慰めに無言で頷いたスダッチャーはそのままサーフモールの裏の里山の方へと歩きだした。
それを呼び止めようとしたエディーをエリスが無言で止めた。
ふたりはその後ろ姿が見えなくなるまで無言で見送った。
<終章>再会
「結局最後はエディーめにしてやられたのう、タレ様や」
ヨーゴス・クイーンが月を見上げて忌々し気に呟いた。
アジトの入り口近くにある大きな岩の上に立っている。
「ふん、じゃがまぁそれなりに楽しめたわ。良しとせよ」
応えるタレナガースは山の頂近くで腰を下ろして同じく月を見上げている。
かなり離れているが、つぶやき程度の声の大きさで互いに会話ができるらしい。
「まったく、タレ様は妙に学者然としたところがおありじゃ。いろいろな毒をこしらえるのは結構じゃが、それらを試して喜んでおられる。我らが最も大切な目的を忘れてもろうては困るぞえ」
「忘れてなどおらぬ。余が持てるすべての力もてこの地を汚濁のどん底に貶める。そのためにまずエディーめを倒す。そのために我らヨーゴス軍団は在るのじゃから」
月が雲にかかった。
ふたつの魔人の姿は闇に紛れたが、その分忌まわしき気配が濃密になった。
「まぁそれがわかっておられればよい」
「またなんぞ面白き毒を試してみたいものじゃ。エディーめの面食らった顔が目に浮かぶわ。ふぇっふぇっふぇ」
―――やっぱり楽しんでおられるではないか。しようのない首領どのじゃ。
まぁ確かに面白いが。
ふぇっふぇっふぇっふぇっふぇ。
ひょっひょっひょっひょっひょ。
「エリス、ちょっと寄りたい所があるんだ」
パトロールの帰り、珍しくエディーが寄り道をしたいと言った。
変身を解除してヒロとドクに戻ったふたりはとある造園店に立ち寄った。
看板には店名の下に「庭造り・木のメンテナンス」と書かれてある。
「オレの知り合いの植木職人がここの跡取りなんだよ。いい腕しているらしいんだ」
そう言うと店の中へ入っていった。
「おう、来たか」
スキンヘッドにハチマキを巻いた若い男性が、ヒロを見て笑顔を浮かべた。
強面だが笑うとガラリとイメージが変わる。
「どうだった?」
「ああ。そこに置いてある。見てみろよ」
スキンヘッドが指さす先には植木鉢がひと鉢置かれていた。一本の杉の枝が植わっている。
「根づいたのか?」
ヒロが歓声を上げた。
「当たり前やろ。誰が世話したと思っとんじゃ」
ヒロはうん、うんと頷きながらしゃがんでその小さな杉を愛おし気に見た。
「ねぇヒロ、これってまさか?」
ドクが背後からその鉢植えを覗き込む。
「ああ。そのまさかだよ」
あの戦いの時。
倒されながらもスダッチャーを攻撃しようと振り回した枝をスダチ・ソードが破壊した。
その時吹き飛ばされた枝の1本をエディーが保存していたのだ。
すべては燃え尽きて、残っていたのはその小さな枝一本。
毒ですっかり黒くなっていたその枝をエディーは大切に持ち帰ってエリスの解毒剤で丁寧に洗浄し、この造園店へ持ち込んで、何とか延命できないかと友人に相談したのだ。
この造園店の4代目で小さい頃から祖父や父と共に木に接してきたこの男は若いが業界でも有名な腕利きだった。
ヒロは「何とか頼む」と頭を下げたが、友人は眉間にしわを寄せた。
「針葉樹の枝を根づかせるのは難しいんだぞ。いろいろデリケートだし。まぁやってはみるが、うまくいくかどうかは何とも言えない」と言われていた。
それでも何とかこの杉は植木鉢の中で命を繋いでくれた。
「ありがとう。恩に着るよ」
ヒロとドクは何度も礼を言ってその造園店を後にした。
「スダッチャーに知らせてあげよう」
「そうね。彼ならうまく面倒を見るでしょうから、いずれ杉の木として大地に根づくんじゃないかしら」
ヒロは小さな杉の枝に顔を近づけて「また会おうぜ、おじいさん」と呟いた。
「可愛いおじいさんになっちゃったわね」
「本当だね」
ふたりの笑い声があがり、ヒロの手にある植木鉢の杉の枝がひょっこりと頭を下げるように揺れた。
風など吹いてはいなかったのに。
<完>