渦戦士エディー
<影を超えろ!>
<一>彷徨う影
山深い森の中から凄まじい闘気が迸っている。
常人にはわからぬかもしれぬが、格闘技の達人ならば思わず立ちすくむほどの強く濃密な闘気だ。
ズドッ!
ガガン!
拳が交差し、蹴りと蹴りがぶつかり合う。
はぁはぁはぁ。
息が乱れて肩を大きく上下させているのはスダッチャーではないか。
三度のメシより、いや食事をするかどうかはわからないが、とにかく何よりバトルが大好きな超人である。
ドガ!
バシン!
ビシュッ!
相手は。。。
???真っ黒な人影だ。
はっきりとした容姿を持たぬ黒い陽炎のごとき敵。まさしく影としか言い表しようのないヤツだ。
晴れた日の木漏れ日が見せる幻と見紛うかもしれぬ。
「何だコイツは?」
始めはスダッチャーもそう思ったが、バトルが始まればそんなことはどうでもよくなった。
目も鼻も口も無いが、そいつは現実にそこにいる。
スダッチャーにははっきりとその影が見えているし、パンチもキックもしっかり当たる。
そして当たればそれなりにダメージも受けているようだ。
バシッ!
バババ!
影がスダッチャーの正面からパンチをキックを繰り出してくる。
「こいつ強いじゃないか」
ガガッ!
スダッチャーの心が弾んだ。
ゴツン!
いい勝負になった。
楽しいぞ。これはいいバトル相手が見つかったものだ。
ワクワクしやがるぜ!
だが、何時間も戦っているうちにその高揚感は次第に消えていった。
はじめは互いによく決まっていた攻撃が次第に当たらなくなってきた。
勘の良いヤツなのか?
「楽しくねぇ。。。こんなにヒートアップしたバトルなのに」
なぜだ!?
高揚感と入れ替わりに疲労感が湧いてきた。
はぁはぁ。
「くそっ、一体何時間こうしてるんだ?」
スダッチャーはチラリと空を見た。
日は西の山の稜線にかかろうとしている。
“こいつ”とバトルを始めてあそこらへんに太陽が来るのは3回目だったか?
実際このバトルは開始から2日半が経っていた。
影のくせに月の微かな光の中でもしっかりと存在して挑みかかってきた。
おかげで休憩なしで戦いっぱなしだ。
腕が重い。足が重い。
なのに相手のバトルレベルはまったく変わっていない。
「底なしのスタミナ」ってのは自分のための代名詞だと思っていたが、コイツの方が上回っているんじゃないか?
くそっ。そんなの認めねぇ!
ガシッ!
バァン!
しかし待て。ちょっと待て。待て待て待て。
何かおかしい。
そしてようやく気づいた。
ドド!
パシン!
―――コイツの攻撃も守りも、呼吸のリズムまでオレとそっくりじゃねぇか。
バトルの楽しみというのは相手がどう攻めてくるか。どんな風にガードするか。どんなパワーか。どこを狙ってくるか。
その驚きにある。
そしてそれを上回ってやっつけた時の喜びとか、やられた時の悔しさなんかが自分の新たなエナジーになる。
相手の一撃一撃が、自分の中にある内燃機関に燃料をぶちまけてくれるのだ。
だが、コイツの動きには驚きが無い。
思っているような攻撃が来て、思っているような受け方をしやがる。
だから勝負がつかずに延々とバトルが続いているのだ。
そしてだんだんワクワクしなくなったのだ。
剣術で言えば同流同門というところか。
ビキッ!
ズガン!
いや似ているなんてもんじゃない。
まったくおんなじだ。
ハッ。
そうか。
つまりコイツは。。。
はぁはぁ。
コイツは。
―――もう足が動かねぇ。
影が拳を突き出した。
―――くっ、腕が上がらねぇ。
コイツは!
「オレだ!?」
ガァァァン!
激しい衝撃と共に頭の中で鈍い金属音が鳴り響いて、スダッチャーの視界は突然闇に包まれた。
「タレ様、あれをご覧なされ」
とある山中。
人の手の入っていない深い森の中。
昼なお暗いこの森のさらなる暗がりの中から声が湧いた。
「うん?おや、あれは。。。」
今度は違う声だ。
声のトーンこそ違うがいずれも地の底から聞こえてくるような不気味な声だ。
大人の男性ふたりが精いっぱい腕を伸ばしても足りぬほど太い杉の陰から声のいっぽうが姿を現した。
憎しみに吊り上がった細い目。
頭部から首、肩そして背中を紫の体毛が覆っている。
その佇まいはあたかも毒虫のごとし。
クモのような或いはハチのような、はたまたムカデのような。
ヨーゴス軍団の大幹部ヨーゴス・クイーンだ。
視線の先には密集する木々の間を縫うように伸びる1本の山道がある。
あまり手入れされていないらしく雑草が道を覆っている。
そこだけスポットライトが当たっているかのように陽の光が射している。
その細い道をゆるゆると進む人の姿があった。
影だ。
顔も体も四肢も黒一色で塗られている。
周囲の森が暗いからそう見えるのではない。
物のたとえでもない。
まったき影だ。
だが影を落としているべき人の姿はどこにもない。
人の形をした影だけが立って歩いているのだ。
前から見ても横から見てもきちんと立体的な人の形をしている。
「只者ではないわえ」
ヨーゴス・クイーンは暗い木の陰から上半身を覗かせて、明るい陽の当たる世界を忌々し気に睨んでいる。
紫の体毛がぞわぞわと蠢いている。
「いじめてくれようぞ」
愛用の電撃ハリセンを手に木陰から出ようとするヨーゴス・クイーンを背後からヒグマの如きごつい手が引き留めた。
「やめておけ」
大好きな弱い者いじめを止められて、毒虫の鬼女は怒りの目で振り返った。
そこには体長2mを超す長身の魔人が立っていた。
銀色の頭髪を後頭部へ垂らし、さらに縞模様のケモノのマントを羽織っている。
迷彩の戦闘服に編み上げのコンバットシューズ。指先には巨木をえぐるヒグマの如きツメがはえている。
何より異様なのはその顔だ。
肉も皮もない。目玉すらない。
青白いシャレコウベだ。
人の顔ではない。何かのケモノでもない。
恨みに歪み狂気に歯をむく悪魔のシャレコウベだ。
その証拠に額からは太いツノが2本ねじくれながら伸びている。
徳島に仇為す秘密結社ヨーゴス軍団の首領タレナガースである。
「あやつには関わらぬほうが良い」
「なんと、強いのかや?」
強い奴は困る。弱い者いじめが好きなのだから。
「あれはストレイ・シャドウというてな、強い弱いというよりも関わると後々面倒くさいことになる」
「なんと。面倒くさいのは嫌じゃ」
ふふん、と鼻で笑うとタレナガースはクルリと踵を返して森の更に深い方へ歩き始めた。
―――待てよ。あの面倒くさい影をエディーめにぶつけてみるのも一興かもしれぬ。
そうひとりごちると、ふぇっふぇっふぇと笑いながら森の奥に溜まる闇の中へと姿を消した。
かたやヨーゴス・クイーンはその後もしばらくは彷徨う影の後姿を興味津々で見続けていた。
「うむむ。ストロー・ヤロウか。恐ろしい名じゃ」
そう言うとタレナガースの後を追って闇の中へひょいひょいと姿を消した。
<二>モンスターに潜むモノ
『ヨーゴス軍団が現れました!』
緊急連絡入電と同時にパトロール中だった渦戦士エディーとエリスは専用バイク・ヴォルティカの方向を大きく変えた。
徳島市内の臨海公園。
かつては京阪神と定期航路が運航されていたが、今はその航路も廃止されてターミナルビルは多目的ホールになっている。
グァシャーン!
ホールの玄関ドアのぶ厚いガラスを粉砕して肉の塊のようなモンスターが飛び出してきた。
全身真っ黒な体毛に覆われており胸に白い鎌のような斑紋がある。
ツキノワグマのモンスターだ!
だが通常のツキノワグマのふたまわりは大きい。
体長は3m、体重は300kgを優に超えているにちがいない。
まるでヒグマだ。
左右の手首には重くて頑丈そうな鉄のリストガードがはめられていて、肩甲骨のあたりから二の腕にかけて筋力増強用ギプスが巻かれている。
タレナガースの凶悪改造によるものだ。
ゴアアアアアア!
赤い双眸と下あごから伸びるキバを天に向けて吠えた。まるで嘔吐するような咆哮だ。
ブルブルと上半身を揮わせて周囲を睥睨する。
そのタレナガースがツキノワグマ・モンスターの傍らに歩み出た。
「ふぇっふぇっふぇ。ヨーゴス軍団久々の本格的格闘型肉食猛獣モンスターじゃ」
胸を反らせてどや顔でうそぶいたその時。
ブォォォォン。
大排気量のバイク音だ。
あのふたりが到着したのだ。
「来た来た来た。待ちかねたぞよ、エディー」
堅いシャレコウベの顔がニヤリと笑った。
まるで腕によりをかけた料理を振舞うために賓客の到来を待っている料理人のようだ。
「そこまでだタレナガース。せっかくこしらえたのに悪いが、そのクマのモンスターもこの場で倒させてもらうぞ」
バイクから降りたエディーがツキノワグマ・モンスターの正面に立ちはだかった。
シルバーとゴールドのマスクには眉間に青く煌めくクリスタルがあり、同色のゴーグル・アイが敵に鋭い視線を送っている。
漆黒のバトルスーツの肩、胸、前腕、下腿部の前面をマスクと同じシルバーとゴールドのアーマが覆っている。
胸の中央とベルトのバックル部には眉間と同じ青いクリスタル・コアが埋められており3つのクリスタル・コアの内部は青いエナジーが対流しているのが見える。
徳島を守護する者。
青き渦の戦士エディーだ。
そして青いショートボブのヘアをマスクからなびかせた女性の戦士エリス。
全体的に華奢なイメージを与えるが、エディーと同じ渦のエナジーで変身するためか、眉間と胸とベルトには同様のクリスタル・コアが煌めいている。
渦のエナジーを開発したのもこのエリスであり、観察力と発想力に長けたエディーの頼れる作戦参謀だ。
「ふふん。せっかくこしらえたモンスターなのじゃ。貴様と戦わねば張り合いがないわい。そして勝ぁつ!」
眼球の無い眼窩に憎しみの赤い炎を灯したタレナガースが鋭いツメでエディーを指さした。
「ゆけぃ!ツッキー君!」
ネーミングセンスは相変わらずだ。
ガアアアオオオオァアアア!
ツッキー君は前脚を地面に着くと4本の脚をフル回転させて猛ダッシュした。
巨体のくせに速い!
しかもこいつの得物はツメだけではない。
全開にした口からは地獄の拷問具の如きキバが一斉に前を向いて伸びている。
パワーと勢いで押してくる相手に力で返しても良いことなど無い。
エディーは体を回転させて闘牛士のようにツッキー君をやり過ごす。
通り過ぎたツッキー君は方向転換するや更に鼻息荒くエディーに再度突進した。
エディーは今度は逆方向に体をかわしてツッキー君の巨体をよけると、火を噴くような拳をツッキー君の脇腹に叩き込んだ。
バァン!
ギャウウウン。
エディーの手の甲には巨大グモ八郎丸戦で活用したナックル・コアが装着されている。
打撃と共に六角形のコアに内包された渦エナジーが前面に展開して破壊力を増大させる。エリスが開発したエディー専用の外付けバトル・ギアだ。
さしもの巨熊モンスター、ツッキー君も激痛に耐えかねて体をよじって苦鳴をあげた。
それでも再びエディーに向き直ると肩を怒らせて威嚇のポーズを取る。
黒い体毛が一斉に逆立つ。
ゴオウ!
今度は直立のまま突っ込んでくる。
しっかりとエディーの動きを目で捉えている。
エディーは一瞬左右に体を動かしてフェイントをかけつつ今度は真上へ高くジャンプして跳び箱の要領でツッキー君をやり過ごした。
ガウ!
だが今度も通り過ぎるだけかと思いきや、ツッキー君はエディーの動きをしっかりと目で追いながら空中のエディーの背に鋭いツメの一撃を加えた。
ガシュッ!
うわっ!
空中でバランスを崩したエディーは肩から地面に落ちた。
そこへ素早く馬乗りになったツッキー君が総合格闘技よろしくエディーの後頭部を殴りつける。
ドガッ!ドガッ!バシッ!バシッ!
その一撃一撃が重い。衝撃が体の中を突き抜ける。
う。。。うぐぐ。。。くそぉ。。。調子にぃ。。。
「乗るな!」
額をアスファルトの地面にめり込ませながら、エディーは背にのしかかるツッキー君に裏拳を放った。
ナックル・コアがツッキー君の鼻面を直撃した。
バァアン!
青い火花が散る。
ぎゃああううう!
ツッキー君は大きくのけぞって仰向けにひっくり返り痛みに耐えかねて四肢をバタつかせていたが、ゆっくり立ち上がると怒り増し増しでエディーを睨みつけた。
一方のエディーも痛みをこらえて立ち上がっていた。
背中への一撃とバックマウントからの連打を受けてあちこち痛い。
両者構えなおして再び睨み合う。
「ひょっひょっひょ。ツッキー君なかなかやるではないか」
自軍モンスターの戦いぶりを見ていたヨーゴス・クイーンが身を乗り出している。
だが傍らで腕組みをしているタレナガースは何やら泰然としている。
「まだ序盤戦じゃ。勝負はこれからぞ」
「何を言われるタレ様。ツッキー君が誕生して、これで久しぶりにエディーと真っ向勝負できるとあれほど喜んでおったではないか。予想通り良い戦いじゃ。本心は嬉しいのであろう?」
ホレホレ、ホレホレ。
ヨーゴス・クイーンに脇腹を突かれて「うひ。。。んふ。。。ひゃほ」と体をよじりながら、それでもタレナガースは冷静だ。
―――確かに良い戦いじゃ。ツッキー君にもワンチャン勝機はある。じゃがこの戦いの見どころはここからなのじゃ。
旧ターミナルビルの屋根の上で、海風に吹かれて腕組みをしたタレナガースと踊るヨーゴス・クイーンの視線の先でバトルは続いていた。
ババン!
巨熊モンスターとエディーのクロスカウンターが同時にヒットした。
ツッキー君の太い腕に阻まれて僅かにエディーのパンチが浅かったが、ナックル・コアの破壊力がそれを補った。
双方数歩背後へよろめき、それでも再び打撃戦を開始した。
「何て強いモンスターなの」
ここまで五分の戦いが続いている。
エリスはここまでの敵モンスターの動きの観察を思い返した。
「何か、何かあるはずよ。特徴、くせ、弱点」
エリスは眼前のバトルに集中した。
鋭いツメがエディーの肩アーマにヒットし火花を散らした。
「エディーの左の肩アーマにやたら傷跡が多いわね。ガードが甘いのかしら?」
ガウ!
真正面からキバをむいてエディーのマスクに食らいつこうと上背に勝るツッキー君が首を伸ばす。
それを右の拳で迎え撃つ。
鼻面にナックル・コアのパンチを叩き込んで突進を止める。
ガガッ!
ツッキー君は顔面への攻撃を受けると無意識に右手を振って抵抗している。
それは攻撃としての攻撃ではなく、条件反射による一撃だ。
「じゃあキバで向かってくる兆候は?」
わからない、が。
「正面からキバをむいて襲い来る直前には水滴を弾くように頭をブルブルと2、3度振るくせがある」
少しずつ少しずつモンスターの攻撃パターンが見えてくる。
何十発も繰り出される攻撃の中から、まるで零れ落ちる砂粒のような手掛かりを拾い上げる。
それはただの砂粒ではない。このように拮抗しているバトルにおいて、小さな手掛かりは値千金の砂金となる。
「エディー、右のツメが来る!」
エリスの指示を受けたエディーが瞬時に対応する。
ツッキー君の右腕を捉えると前のめりの重心を利用して懐に入り腰を膝に当てて担ぎ上げた。
おりゃあ!
熊モンスターの巨体がまるでアニメーションのようにクルリと回転して肩口からアスファルトに叩きつけられた。
ズシィィン!
ゴラアアアア!
「よっしゃ!」
エリスはガッツポーズした。
時間が経つにつれて少しずつ相手の攻撃が読めてくる。
それを逐一伝えることでエディーの攻撃が次第に決まり始めた。
「右来る!」
エディーは素早く体を沈めて鉄球のような右からのフックをやり過ごすとツッキー君の下あごにハードブローを叩き込んだ。
一瞬真上を向いたツッキー君の頭がガクンと真下に落ちるや、ツッキー君は真後ろにお尻をついた。
ダウン!
「ややややや。タレ様や、なんか知らんが少ぉしずつツッキー君が押されているように見えるのは気のせいかのう?」
ついさっきまで小躍りしていたヨーゴス・クイーンが不安げな声をあげた。
「いや。間違いなく押されておる。しかも優劣の差が広がるにつれてツッキー君の闘志もしぼみ始めておる。野生動物の本能というやつじゃ」
「なぜじゃ?五分の戦いを繰り広げておったではないか」
忌々しい。
ヨーゴス・クイーンの目が更に吊り上がる。
「結局はクレバーなのじゃ」
それを聞いたヨーゴス・クイーンはかみしめるように呟いた。
「なるほど、入れ歯か。。。」
「頭が良いということじゃ。観察し、分析して敵の動きを読む。そしてこちらの攻撃をより効果的なものにする」
モンスターにそんな芸当はできない。
今までも実力が拮抗し善戦したモンスターはいた。しかし最後にはエディーに主導権を握られて一敗地にまみれた。
エリスの存在が大きい。だが彼女のアドバイスをすぐ戦いに応用できるエディーの即応力は敵ながら見事というほかない。
「ならばわらわもエディーのくせとやらを見つけてくれる」
「無理じゃ。第一、戦いの中で敵の粗探しをするエリスがエディーのくせを見逃すはずがあるまい。そして見つけたとしたら放っておくわけがないじゃろう」
このままだとツッキー君も「善戦したモンスター」の仲間入りをするのだろう。
―――だが、今回はそれが幸いするだろうよ。
劣勢に不貞腐れるヨーゴス・クイーンをよそにタレナガースは依然として戦況をじっと見守っていた。
ババババ!
エディーの高速連打がツッキー君の胸の白い鎌模様に叩き込まれた。
ツッキー君が頭をブルブルと震わせた。
「キバだな」
予想通り口を大きく開いてエディーの首を咬みにきたが、一瞬早くエディーは真上へジャンプして前へ突き出したツッキー君の脳天へ神速のかかと落としを決めた。
ガツッ!バキャッ!
頭の中で妙な音がして一瞬ツッキー君が棒立ちになった。
「今よエディー」
「よっしゃ」
エディーは腰を落として構えると思い切り路面を蹴った。
激渦疾風脚!
ドガガガガ!
宙に舞いうず潮のように高速回転するエディーが繰り出す連続キックがツッキー君の側頭部に全弾クリーンヒットした。
ごお。。。が。。。が。
ツッキー君の目がグルリと白目になり、膝から真下に崩れ落ちた。
「やったか」
確かな手ごたえを感じたエディーだったが、数秒後ツッキー君は見えない糸で吊り上げられたかのようにゆらりと立ち上がった。
白目をむいたまま再びエディーに向かってくる。
「む。始まったか?」
タレナガースが初めて戦いに興味を示した。
ごおおおおおおお!
戦い始めのような勢いを取り戻したツッキー君が襲いかかる。
「な、なんだコイツ。今になって変なスイッチでも入ったのか?」
こっちも負けじとエディーの闘気が増し、それに呼応してコアが光を放つ。全身を渦エナジーが激しく対流し、青いオーラが立ち昇る。
グリズリーよりも凶暴で強力なツキノワグマ・モンスターが両腕を振り上げてエディーに近づいてくる。
「第2ラウンド開始ってわけか。いいぜ、つき合ってやる」
おりゃー!
ズドドド!
気合と共に繰り出したエディーの拳がツッキー君の顎、胸、腹にヒットする。
そしてくるりと体を回転させて後ろ回し蹴りを首へ決めてそのまま脳天へのかかと落とし。
流れるようなコンビネーションだ。
更にエディーの攻撃がことごとくヒットする。
「いけるぜ。俺の勝ちパターンだ」
勝敗の行方に手ごたえを感じたエディーだが、エリスは何やら腑に落ちぬようすだ。
「なによ。威勢よく吠えた割には全然攻撃してこないじゃない」
「バテたんじゃないのか?」
「まさか。。。あれだけのパワーファイターにしてはスタミナ切れが早すぎない?」
何か変だ。
「エディー、油断しないで。まだ何かあるかもしれないわ」
しかし今のツッキー君はエディーのサンドバック状態だ。
さっきのかかと落としのダメージが大きいのだろうか?
実際あのかかと落としは巨岩を粉砕する破壊力を遺憾なく発揮したはずだ。
その時ツッキー君が左のパンチを打ってきた。
バシッ。
不意のパンチはエディーの左肩のアーマに決まった。
「?」
それでもエディーは攻撃を止めない。
ツッキー君の右ストレート。
左も来た。
ワンツーパンチだ。
「あらら?」
エリスは困惑した。
「なんでパンチなの?なんでツメで来ないのよ?」
そう。ツッキー君の武器はツメとキバのはずだ。
そう思って観察しているとさっきからキバの噛みつき攻撃が一切来ていない。
その時ツッキー君が前蹴りを放った。
ズドッ。
ぐっくぅぅ。
太い右後脚がエディーの鳩尾に入った。
「け、蹴りだと?」
想定外の攻撃を受けてエディーは呻いた。
しかも足の鋭利なツメを使わずつけ根の中足を当ててきた。
「何よその理に適った前蹴りは」
エリスはすっかり混乱していた。
しかもパンチやキックの手数が次第に増えて来る。いや、その速度や精度も上がっているのではないか?
シュバッ。
ビシィ!
左右のワンツーがエディーとクロスする。
顔面と見せかけてクィと腰を落としてボディーブローを打つ。
これも相打ちだ。
「これならどうだ!」
腰を落とすとフルスピードでパンチを撃ち出した。
ズガガガガガガガガ!
一撃一撃は肉眼で認識できないが、大気との摩擦で赤い光跡が幾筋も浮かび上がりツッキー君は2歩3歩と後退し始めた。
何発叩き込んだだろう。
ツッキー君の動きが止まった。
が、まるで切れていた電池を交換したおもちゃのようにツッキー君が急に反撃を始めた。
ズガガガガ。
太い後脚を踏ん張って高速パンチの反撃だ。
咄嗟に両腕をクロスしてガードするが、衝撃が両腕をぶち抜いてエディーのボディーに届く。
「う。。。ぐぅ。。。効くぜ」
だが防御に回るつもりはない。
エディーは強引に攻撃を続けた。
ドガガガガ!
双方の戦いがさらに熱を帯びるが、双方とも決め手に欠けるためか手数の割に戦況が動かない。
「何これ?」
ツキノワグマ・モンスターのくせにキバもツメも使わない。
パワーファイターとしての大振りや突進も無くなった。
拳を繰り出す瞬間は体重を乗せるために両足をしっかり踏ん張るものだが、今は軽快なフットワークを使い始めた。
そしてボディーに隙を見つけるやキックまで使い始めた。
こんなのは。。。
こんなのは熊モンスターの戦い方じゃない!
「だって、これじゃあまるで。。。」
そこまで言ってエリスは愕然とした。
何やらツッキー君の体毛が少なくなってはいないか?
体つきがスリムになってきていないか?
前へ伸びたケモノ特有の鼻面が平たくなってきていないか?
「人の形に変わってゆくわ。。。どうなっているの?どういうモンスターなの?」
エリス同様、目の前でその変貌ぶりを見せられているエディーもまた動揺していた。
「こいつ、本当にヨーゴス軍団のモンスターなのか?」
そうしているうちにツキノワグマ・モンスターはついに黒い影に完全に変じた。
「影!?」
驚いた隙にエディーはいいパンチを3発もらった。
エリスは影の周囲をぐるぐると回りながらその姿を凝視した。
「影。影よ。影だわ。どこから見ても影じゃないの」
そうだ。それは立体的な人の影だ。
エディーは一体何と戦っていたのか?
ツキノワグマのモンスターだったはずだ。なのにあれは何?
それにあの戦い方はまるで。。。まるで。
「エディーじゃないの!?」
今やエディーと影はまったく同じスタイルで戦っている。
驚いたことに先刻エディーが見せた流れるような連続技ですら再現してみせる。
「くそっ、自分の得意の攻撃を食らうっていうのは嫌なもんだな」
「ふぇっふぇっふぇ。エディーはおろかあのエリスまでが面食らっておるわ。愉快じゃ」
タレナガースは我が意を得たりと言わんばかりに胸を反らせて笑った。
「どうなっておるのじゃ?わらわにも教えてくだされタレ様」
ヨーゴス・クイーンは状況を理解できていないようだ。ヨーゴス軍団が自信たっぷりに送り込んだツキノワグマ・モンスターは次第に劣勢に追いやられもはやこれまでと思っていたが、どういうわけか次第に姿が変わってゆき、今度は何やらエディーめが苦戦しているように見える。
それにあれは。。。いつぞや山中で見かけたストロー・ヤロウではないか。
どういう訳じゃ。あの歩く影はいつどこから出てきた?
「ツッキー君の中に仕込んでおいたのじゃよ」
そう言われてもヨーゴス・クイーンには到底理解できなかった。
「今、あの影はエディーめそのものなのじゃ。見よ、まったくの互角ぞ。自分自身と戦うのはしんどいであろう。なにせ、負けはせぬが勝てもせぬからのう」
「ならばずっと戦っておらねばならぬではないか」
「そういうことじゃ。さすがのエディーめもそのうちバテてヘロヘロになるであろうよ」
「エディーがヘロヘロ。ひょっひょっひょ。エディーがひょろひょろ」
ヨーゴス・クイーンに元気が戻ってきた。
「最後には疲れ果てたエディーめが影に乗っ取られるのじゃ。ツッキー君のようにな」
「ひょっひょー、それは楽しみじゃ。じゃがタレ様、結局のところあの影は何者なのじゃ?」
「それについては追って詳しく教えて進ぜよう。まずは影の戦いぶりをとくと見せてもらおうではないか。エディー対エディーじゃ。見ものじゃぞ」
ふぇーっふぇっふぇっふぇ。
ひょーっひょっひょっひょ。
ヨーゴス軍団のふたりが高笑いしている間も戦いは続いていた。
仮に一発ヒットさせれば1点取れるゲームだとするなら、影が本来の姿を現して以降はまったくの互角。ほぼ同点と言っていいだろう。延長戦に突入する勢いである。
ツッキー君の最初の突進から間もなく1時間半。戦いとしては長丁場になってきたが、この先一体いつまで続くのか?
双方決め手がないまま膠着状態に陥っている。
その時、一瞬の隙をついてエディーがソードを出現させて斬りつけた。
ザシュッ。
手応えがあったが、エディーと互角の反射神経を有している影は咄嗟に体をひねってダメージを最小限にとどめた。
この影は実体を持っている。
殴られ蹴られればそれなりにダメージを受けるし、腕を掴んで投げることもできる。
戦いの中でそうした特徴を把握していたエディーは斬撃に出たのだ。
だが致命傷には至っていない。
だがさすがに新しい攻撃に驚いたようだ。よろめくように2、3歩下がると斬られたあたりを指でなぞった。
ここぞとばかりにエディーはソードを振るって追撃した。だが影も素早く体をかわす。
肩に一撃、さらに脇腹を浅くえぐった。
「次でとどめだ!」
ガキン!
「ナニ!?」
気合と共に脳天から唐竹割に斬り下げようとしたエディーのソードは、影の剣に阻まれていた。
「うそだぁ。影も剣を使うの!?」
エリスが悲鳴をあげた。
エディーが振り下ろした青く煌めくソードを黒い影のソードが見事に受けている。
黒い刀身には無数の小さな光の粒子がパチパチと火花のように弾けている。
「こいつ、オレのソードの連続攻撃を受けただけで自分のソードを錬成したというのか」
影は黒い剣を脇に構えるや斜め上に振り上げた。
「!」
ギギン!
黒い切っ先がエディーの胸のコアをかすめて走った。
ツゥと細い筋がエディー・コアの表面に刻まれた。
「オレの剣技をそっくりそのまま会得している。。。こいつ!」
エディーの頭に血が上った。己の得意の剣技でヒヤリとさせられたことに無性に腹が立った。
「エディー、冷静に!」
エリスの声が飛ぶ。
「エリスちゃん、エディーを引かせろ」
その時、エリスの背後から声がした。
え?
振り返ったが誰もいない。
「誰?」
「オレ様だよエリスちゃん」
声はすぐ傍らの街路樹から聞こえてくる。
「この声、スダッチャーね。どこにいるの?」
「少し離れた所から見ている。そのハナミヅキの幹は細すぎてオレ様は入れないから、声だけ送らせてもらっているのさ」
「そんなことより、このままあの影と戦っていても埒が明かねぇ。オレ様はヤツと2日以上戦ったからわかるんだ」
「2日も?相変わらずすごいスタミナね。さぞ楽しかったでしょうね」
エリスは眼前の戦況を注視しながらもスダッチャーの話に耳を傾けていた。
すごい集中力だ。
「はじめはうきうきしたさ。でもあの野郎、途中からオレ様の戦い方を真似てきやがった」
今、目の前の展開がまさにそれだ。
「で、どうなったの?」
「やられた。キツーイ一発を喰らってね」
「負けた?スダッチャーが負けたっていうの?」
「底なしのスタミナを誇るオレ様がスタミナ勝負で負けたんだ。忌々しいったらないぜ。最後には腕は上がらねぇ足は動かねぇ。でもあいつは一向に疲れた様子を見せない。最後には真正面からオレ様ご自慢の必殺パンチがオレ様自身の顔面にガツーン!」
「うわ。。。痛そう」
「そしたらあいつ、なんとオレ様の中へ入って来ようとしたんだぜ。後ろへひっくり返っちまって朦朧とした意識の中で、あの影がオレ様にのしかかってきたのがわかってゾッとしたわ。けど、間一髪で背にしていた杉の大木に逃げ込んで難を逃れたのさ。とにかくヤバいぞあいつ」
確かにそれは尋常ならざる相手のようだ。
「でも引き際がわからないわ」
「オレ様がスダチ・ソードの閃光弾で飛び込む。ヤツは影だから光の中では消えるはずだ。炸裂した閃光で一瞬ヤツを消すから、その隙にエディーを連れて逃げろ。3連発で稼げる時間はせいぜい1分かそこらだ」
「わかったわ」
「ヤツはエディーの気配を追ってくるはずだ。十分距離を取ったらすぐに変身を解除してヤツの追跡をまくんだ。いいな、忘れるなよ」
「オッケー」
すると次の瞬間。
いいいいやっほぉぉぉぉぉい!
奇声を上げながら上空からスダッチャーが飛来した。
太陽に入って敵の目をくらませるのは得意の戦法だ。
逆光の中から現れたのは先日さんざん戦ったあの緑の超人だった。
振りかぶった大きな緑の団子の串のような剣が影とエディーの間の地面に叩きつけられた。
パパァァァァン!
「うわぁ!」
眩い閃光が周囲を覆った。
強い光はあらゆる影を消し、陽の光さえも遮ってそこにいる者全員の視力を一瞬奪った。
光は物理的な力を以て突風を巻き起こした。
接近戦に集中していた影とエディーはそれぞれ顔を覆って反対方向へ飛びのいた。
「エディー引け!エリスちゃんは真後ろにいる」
「スダッチャーか?」
「急げ!閃光が消えたら影が復活する」
そう言うとエディーの体を後方へ押しやるとスダチ・ソードを振り上げて二撃目の炸裂弾を放った。
ズパパーーーン!
再び濃密な光が消えかかる光を上書きし、砂煙が舞い上がる。
そしてスダッチャー自身も駆け足で撤退しながら、振り向きざまうっすらと現れ始めた影めがけて最後の一発が残ったスダチ・ソードを投げつけた。
パァァァァァァァシュ!
3発目の炸裂による閃光と埃が完全に収まった時、そこにはエディーたちの姿は無かった。
影はしばらく呆然と周囲のようすを窺っていたが、エディーの気配を察知したのかゆっくりと歩き始めた。
「タレ様や、一体何が起こったのじゃ?いきなりえげつない光が湧いて肝をつぶしたわえ」
「ふんっ、スダッチャーのヤツめ。余計なことを」
「なんと、あれはスダッチャーのしわざであったか」
「じゃがあのミドリ男め、ストレイ・シャドウの特性を知っておったようじゃのう」
タレナガースはスダッチャーと影が既に一度戦ったことを知らない。
まあよいわ、と呟くとタレナガースは踵を返した。
「タレ様や。あの影めはどこぞへ行きまするぞ。放っておいてもよいのか?」
「よい。放っておいても影はどこまでもエディーを追うであろうよ。好きにさせておけ」
もしも辿り着けなければ、また新たなモンスターを放ってエディーをおびき出せばよい。
当分は楽しめそうじゃ。
含み笑いをしながらタレナガースは呼び出した瘴気の渦にその長身をくぐらせた。
<三>影の正体 〜うずしお大学伝奇伝承資料室にて
影と一戦交えた日の午後、ヒロとドクはうずしお大学を訪ねていた。
今回の敵はあまりにも謎すぎる。
いつものカフェで何か情報は無いものかと話し合っていた時、ドクがこの資料室の存在を思い出したのだ。
伝奇伝承資料室はかつてエディー&エリスの危機に際して数々の有益な情報を提供してくれた糸魚川が自らの研究室の隣室を借りて作ったものである。
かつてはフリーターの好事家であったのだが、エディーたちとの共闘で名を上げ、いくつかの著書も発行されて今はうずしお大学の民俗学講師に迎えられている。
蔵書はすべて糸魚川自身の私物で、日本に限らず外国の田舎町の修道院や古書市などに足を運んで手に入れた古い本も多い。彼自身が購入して船便で送らせた魔道具や拷問具など、おどろおどろしい品物もいくつか展示されている。
資料室は糸魚川の研究室と同じ間取りのためそれほど広くはないのだが、世界の隠れた伝承や風習に興味を持つ人たちの役に立ちたいという糸魚川の希望を受けて特別に一般公開されている。
正門の守衛に伝奇伝承資料室へ入室したい旨を伝えれば誰でもその場で入場時間を記載した入場許可証を貸与される。
資料室の管理者にその許可証を見せ、入室時と退室時のそれぞれの時間を書いて捺印をもらう。それを帰り際に再び守衛に見せて許可証を返却するという段取りになっている。
「お邪魔します」
ドクが先に入室し、入り口脇の受付カウンターの女性へ声をかけた。
「いらっしゃい。どうぞお入りください」
赤いフレームの眼鏡をかけた受付の女性が笑顔で応じてくれた。
読んでいた本に素早く栞を挟んで閉じるとふたりが首から下げた入場許可証に時間を書きこんでくれた。
「バッグはこのロッカーに入れてキーを私に預けてください。あとはどうぞご自由に閲覧してください。奥のソファで座って読んでもらえます。飲食は原則禁止ですが喉が渇いたら奥にウォーターサーバーがあるので自由に使ってくださいね」
「有難うございます」
簡単な説明を受けてふたりは書架に並んだ膨大な書物の背表紙を見て歩いた。
「すごいな。これ全部糸魚川先生が世界中で集めてきた本かい?」
「ええ。大学の資金があるとはいえ、よくぞこれだけ集めたものよね。ここ以上の資料はなかなかお目にかかれないわよ。糸魚川先生は今やこの分野の大家だもの」
それからヒロとドクは日本の呪術や狐狸妖怪の類いに関する書物を十数冊抱えてテーブルに積み上げて無言で読み始めた。
今朝のバトルでスダッチャーがエリスに話した内容はカフェでヒロにも共有してある。調べるべきことは彼もきちんと理解しているはずだ。
言うまでもなくキーワードは影だ。
中には興味を引かれる面白そうな逸話などもあったが、じっくり読んでいる時間は無い。ふたりは影について書かれている項目を探した。
2時間後。
「この本も違うなぁ」
ヒロは厚さ3cmほどの古い和綴じの書物を丁寧に閉じた。
「これで7冊目。。。影と言えば、影に呪符を結んだ矢を射て動けなくする秘術『影縫い』について書かれていただけね」
ドクはうぅぅんと両手を天井に向けてソファの背に体を預けた。
「糸魚川蔵書にもヒントは無いのかなぁ」
「もしくは、見当違いの本を調べているのかも」
―――見当違いか。。。
ヒロは5列並んでいる書架を眺めた。
「これは骨の折れる宝探しだぞ」
「数百冊以上もあるこの膨大な資料の中に、ひとり歩きする影の正体のヒントがあるのかしら?」
さすがのドクも途方に暮れたようだ。
「あのぉ。。。」
その時、受付の女性が立ち上がってこちらを見ている。
「あ、すみません。うるさかったですよね」
立ち上がって頭を下げるドクを片手で制して女性がふたりに歩み寄った。
「いえいえ、ここは図書館じゃありませんから。それに今は私たちだけですから気にしないでください。それより。。。」
ドクは傍らに来た女性が首から吊っているIDを見た。
「あ、私、曽根といいます。糸魚川教室の学生で今は修士課程の1年生です」
ドクの視線を察した曽根が自己紹介した。勘の良い生徒のようだ。
「私、こういう伝奇や伝承みたいなのに興味があって。高校生の時からここに入り浸って資料を読み漁っていたんです。そしたら糸魚川先生から『キミ、ボクの留守中ここの受付に座っていてくれないか?バイト料を出すから』って」
フフフと笑ってテーブルに積まれた本を横目で見た。
「日本の陰陽術とか呪術とかお調べですか?それとも妖怪?」
まだ資料室としての体裁が整っていなかった頃、これらの書籍は糸魚川が無造作に書架に並べていて、分野や地域など何も分類されていなかったらしい。それらを読みながら少しずつ図書館のように分類し整理したのは曽根なのだそうだ。
「大体でも何かヒントを教えていただければ、どのあたりの資料が役に立ちそうかアドバイスができるかも」
控えめにほほ笑む曽根だが頼りがいがありそうな人だとドクは感じた。
せっかく来たのだから何か少しでも手がかりをつかんで帰りたい。ヒロもドクも彼女の知識に頼ってみようと考えた。
「オレたち、影について調べているんです」
「影、ですか?」
「はい。実は私たちの知人が歩いている影を見たって言ってて。。。まぁ最初は笑って馬鹿にしていたんですけど、あんまりしつこく見た見たって言うものだから。ちょっと調べてあげるって約束しちゃったんです」
「歩く影ねぇ。。。」
曽根は「ふぅん」としばらくドクを眼鏡越しに見ていたが「ちょっと待ってて」と言うや、くるりと背を向けて書架の間へ姿を消した。
その頃。
某山中。
山腹の洞穴の奥から何やら声が聞こえる。
壁面の岩の隙間から水がちろちろと流れ出ていて足元はぬめぬめと光っている。
入り口の前には鬱蒼とした木々が覆いかぶさるように生えていて風を通さない。
そのため暗く、じめじめしていてかび臭い。
暗がりから聞こえる声はふたつ。
いずれも地鳴りのような不気味さを湛えた声だ。
「あのストロー・ヤロウめ、今頃どこで何をしておるのじゃろうかのう?タレ様」
「ふぇっ、どうせエディーの気配を追ってあちこち彷徨っておるのじゃろう。なにせ彷徨うのは慣れっこじゃからな」
「そろそろわらわにも教えてくだされ。あの影はいったい何者なのじゃ?」
タレナガースは頷きながらヨーゴス・クイーンに語り始めた。
「ヤツは呪いによってあるじから引きはがされた影なのじゃ」
2分と待たず、曽根が菓子箱をひとつ抱えて戻ってきた。
いやいやお菓子なんかでもてなしてもらわなくても。。。
困ったようなドクの表情を読んだか「本が入っています」と曽根が先手を打った。
菓子箱の蓋を取ると確かにパラフィン紙に包まれた1冊の古そうな本が収められている。曽根がゆっくりと取り出してヒロとドクの前に置いた。
表紙は革製で五芒星の周囲を月が満ち欠けしながら取り囲んでいるデザインだ。
「西洋のかなり古い本で、魔導士のための教則本だそうです」
「え?西洋の?」
「魔法使いのテキストみたいなものですか?」
ヒロが興味津々で身を乗り出した。
もっぱら日本の書物ばかり調べていたが、まさか西洋とは。
「糸魚川先生が学生時代にドイツの小さな田舎町の古書市で5000円くらいで買ったものだそうです。結構な掘り出し物だとおっしゃていました」
と言いながら表紙を開く。
「だけど和訳を頼むのにその20倍くらい費やしたそうですよ、ふふふ」
そんなことよりも早く情報が欲しいドクはお尻が浮き上がっている。
曽根は「待ってくださいね」と言いながらページをめくった。そして「あ、これ」と小さな声で言うと開いたページをドクの方に向けた。ヒロも顔を寄せて見る。
「ほらここです。『彷徨う影』あるいは『迷子の影』。ドイツ語の発音はうまくできないけれど英語で言えばストレイ・シャドウという名前です」
曽根はこの本の和訳も既に一度読んでいるようだ。
「今は滅んだ『影剥がし』という古い黒魔術によるものだそうです。とても強い呪いのようですね」
「なんと。西洋の呪いとな」
「本体から引き剝がされた影は本能的にあるじを求めて彷徨うのじゃ。あの影のもともとのあるじは格闘家かあるいは剣闘士のような戦いに身を置く者であったのじゃろう。あの影は戦うことで再びあるじを得んとしておる。これはと思う相手を見つけたら戦いを挑んで打ち負かし、その者の影を追い出して己がその座につこうとしておる。じゃがどうあがいても影には戻れぬのよ。それが呪いじゃからな。打ち負かした相手の姿かたちを奪い取るのみで影にはなれぬ。戦っても戦っても影は決して影には戻れぬ。満足できぬのよ。じゃからしてまた違う相手を探して彷徨う。永遠の呪いじゃ」
「うむむ。。。そのような呪いがあったとは」
「影を引きはがされた人間は数日で衰弱死すると書かれています。でも引き剝がされた影の方は永遠にこの世を彷徨うんです。新しい主人を求めて彷徨うんですね。その主人の影となるために」
それだ。あの影は、かつて影剥がしの術であるじを失った、彷徨う影に違いない。
ようやくあの影の正体が見えてきた。
「もっと他に何か書いてありますか?影の弱点とか」
「え、弱点ですか?」
「あ、いや、そんなのに町でばったり出くわしたら大変ですから。。。一応。。。知っておきたいな、とか。ハハハ」
ヒロが焦って言い繕う。エディーとしての本音がつい出てしまった。
「いえ、そういうことについては何も。私の想像ですが、『影剥がし』はかなり高等な魔術なのでこうした初級の教則本にはくわしく記されていないんだと思います。こうしたテキストの上級編には載っているかもしれませんが残念ながらここにはありません」
はぁ。
ヒロのため息が資料室に響いた。
「この黒魔術はおそらく中世かそれ以前の古いものですから、あなたがたのお友達が見たその影が本当にストレイ・シャドウだとしたら、おそらく数百年もの間この世を彷徨い続けていることになりますね」
「それが今になってこの徳島に?」
そうなのだ。なぜよりによってこの徳島に。
「今の時代は外国の毒グモとかも日本に入ってきていますから、外国航路の貨物船か何かに紛れ込んでやって来てしまったのかしら?」
考えられない話ではない。まったくこの上なく迷惑な話だ。
ヒロとドクはそれから曽根と少し世間話をして、約15分後に伝奇伝承資料室を後にした。
「で、その呪いの影がなにゆえあのバトルの場に現れたのじゃ?」
「ツッキー君をエディーより先にあの影と戦わせておいたのじゃ」
「既に一戦交えておったのか。で、どうなったのじゃ?」
「ふぇっ、知れたこと。影が勝ってツッキー君は乗っ取られてしもうたわい」
「げげっ。ではわらわたちと行動を共にしておったツッキー君はツッキー君であってその実はあのストロー・ヤロウであったのか!?」
「そういうことじゃ。ま、戦いに際してツッキー君の活性毒素はあらかじめ解毒してかなりパワーダウンさせてあったからのう。半日ほど戦って早々に決着がついたわ」
「ななな、なぜじゃ。ツッキー君が負けるように仕向けたと言われるか?」
「いかにも。まだわからぬか?余はツッキー君ではなく影をエディーにぶつけたかったのじゃよ。あの影は、これはと思う相手を見つけたら倒すまでつきまとうからのう。どこに隠れようとその気配を追ってゆく誘導弾じゃ。あのバトルの時、ツッキー君の姿を捨ててもとの影に戻ったのは、エディーの方がツッキー君より己があるじとして憑りつくにより相応しい相手と認識した証しなのじゃ。今の影の頭の中は、エディーめの影におさまることでいっぱいのはずなのじゃ」
「つまりこれよりエディーめは戦いに敗れるまでずぅっとあの影につきまとわれるということかや?」
「左様。果てしない持久戦の末、最後に勝つのは影よ。いずれエディーめもエナジーが枯渇して影に乗っ取られるに違いない。ふぇっふぇっふぇ」
「エディーが影。エディーがストロー・ヤロウ。これは面白い」
ふぇっふぇっふぇっふぇ。
ひょっひょっひょっひょ。
日はだいぶ西に傾いていた。
歩道に出来たふたりの影が長く伸びている。
ストレイ・シャドウ。
古い呪いによって本体から引き剝がされて彷徨う哀れな影。。。
敵の正体はわかったが弱点まではわからずじまいだった。
うずしお大学の守衛門を出たヒロとドクは駐車場へと続く歩道を歩いていた。
「ある意味成仏できずに彷徨う幽霊みたいなものね」
「だがヤツは影という実体を持っている。幽霊とは違うぜ。だから絶対に倒せるはずだ」
「あの影を倒すことは影を呪いから解放してやることにもなるってわけね」
ヒロとドクは車に乗り込むとエンジンを始動させた。
<四>一撃に込める!
キィィィィィン。
徳島自動車道を東へ向かって疾走する2台の高機動バイク。
今日の予定のパトロールを終えて徳島市内へ帰るエディーとエリスだ。
遠くに眉山のシルエットが見えてきた。
ドサッ。
「うわわ!」
背後に衝撃を受けてエディーは慌てて左右に揺れるヴォルティカのバランスを保った。
何か大きな荷物がリアシートにドサリと置かれたような?
だがエディーは自分の腰に回された緑色の腕を見てその正体がわかった。
「急に飛び乗ってくるなんて、危ないじゃないかスダッチャー」
疾走するヴォルティカに飛び乗ってきたのは緑の超人スダッチャーだった。
「へっへっへ。びっくりしたか?」
現在の時速は70km近い。これにタイミングよく飛び乗るなんて底知れない運動能力だ。よくも笑っていられるものだ。
「こんな無茶な現れ方をして、いったい何の用だ?」
エディーは少しばかりご機嫌斜めだ。
「変身するのは控えろって言わなかったか?」
スダッチャーからも笑顔が消えている。
「オレ様なりに真面目に忠告したんだぜ。なのに何だよこんなふうにパトロールなんかしちゃってさ」
エディーが活動すれば影はどんなに離れていてもその気配を感知して追ってくる。それをスダッチャーはエリスを通じてエディーに忠告してあった。
「そのことか。心配してくれて有難う。昨日のバトルに介入してオレたちに撤退するチャンスをくれたことも感謝しているよ」
エディーは視線を前に向けたまま顔をほんの少し後ろに向けてスダッチャーに頭を下げた。
「だがな。そんなことをいちいち気にしていて徳島の平和は守れない」
「スダッチャー。昨日のこと、私からもお礼を言うわ。エディーも私も決してあなたの言葉を軽んじたわけではないのよ」
後方を走るエリスもインカムを通じてスダッチャーに話しかけた。エディーの耳に届く音声なら風の中でもスダッチャーは聞き取れる。
「オレたちは今までだっていろいろな強敵と戦ってきた。今度の影も面倒な相手だ。だけど恐れているばっかりじゃ何にも解決しないよ。そうだろう?」
ふぅ。とスダッチャーがため息をついた。
「ちぇっ、ご立派なこった。返す言葉もねぇよ、まったく」
スダッチャーは少し忌々し気に返したが、語感に怒りは含まれていない。
「それに、私たちがいつまでも姿を隠していたら影が一般の人たちに標的を移すかもしれないじゃない。それだけはどうしても避けたいの」
「いやエリスちゃん、その心配は無用だぜ。影はオレ様やエディーの強さを知ってしまったんだ。超人クラスじゃなきゃもう満足できないさ。どこまでもオレたちを追ってくるに違いない」
「よし、そうとわかれば思う存分戦ってやろうじゃないか。このコアの渦エナジーが続く限りな」
「へへっ。面白くなってきやがったぜぃ!こうなりゃオレ様も力を貸すぜ。いゃっほーい!」
そして2台の3人は高速道路のカーブに沿って山の向こうへ高速で東へ向かって疾走した。
丁度その頃。
「うわわ、何だ?」
「なぁに気持ち悪い」
「おい、離れろ離れろ」
買い物客で賑わう県西部有数の大きなショッピングモールの一角でちょっとした騒ぎが持ち上がった。
パニックというほどではないのだが、混み合うモールの中央付近で人の輪が出来ている。
輪の真ん中にいるのは。。。あの彷徨う影だ。
県西部のパトロールに出ているエディーの気配を追って徳島市内から西へ西へとやって来たのだ。そして人の多いショッピングモールのど真ん中に彷徨い出てしまった。
もとより周囲の人間の騒動など関知していない。
文献に書かれている「ストレイ・シャドウ」の名の通り、買い物客たちの間をゆらゆらと彷徨っている。
人が多いため、まったく気づかずすれ違う買い物客も少なくない。
だが気づいた人たちの中には動画を撮り始めた人もいる。
スマホを見ながら歩いていて正面の影に気づかず鉢合わせした女子学生が「うぎゃっ!」と悲鳴を上げて尻もちをついた。
だが、影の方はそんな人たちに危害を加えるでもなければ店や建物に悪さをするでもない。
ただゆらゆらと歩いている。
ショッピングモールの通路に沿って真っすぐ歩いてはいるものの、何かを探しているようにも見えた。
顔も何も無い、全身が真っ黒なので定かではないが、曲がり角で少し立ち止まって視線をあちこちへ巡らせているからだ。
その時。
影は不意に左上方へ顔を向けた。
そこには徳島自動車道の高架が長く伸びている。
その高架道路を影はじっと見ているようだ。
今まさにそこを2台のヴォルティカが東へ走り去った。
影はその気配をこの位置からはっきりと察知していた。
「ヨーゴス軍団参上!」
腕を組んでふんぞり返ったタレナガースの声が広場に響き渡った。
中央に噴水を持つ親水公園だ。
まだまだ残暑厳しい折から小さな子供たちは噴水の周囲の浅い水場で足を濡らして楽しんでいた。
大勢の怯えた視線の先には戦闘員5人を従えた戦闘隊長。その背後にはタレナガース、ヨーゴス・クイーンが仁王立ちしている。
戦闘員たちは各々背中に大きな噴霧器のタンクを背負っている。
20リットルは入りそうなタンクには黒いドクロマークが描かれている。
「それぃ!」
ヨーゴス・クイーンの合図で長いノズルを構えてシュゥゥゥゥと黒い液体を撒き散らし始めた。
「わあああ」
「きゃあ!」
黒い液体は粘着性を持っており、建物であれ樹木であれ路面であれ、付着すると流れ落ちずに異臭と白煙をあげた。
「ふぇっふぇっふぇ。余が特製の液化瘴気じゃ。ほれほれひっかかれば洋服なんぞたちまち溶けて皮膚までただれるぞよ。逃げよ逃げよ」
「ホレ撒けヤレ撒けもっと撒けぇ」
ヨーゴス・クイーンに尻を蹴られながら戦闘員たちはどす黒い液体瘴気を公園のあちこちに振り撒いた。
透明の涼やかな水を湛えていた水遊び場もみるみる黒く染まり、母親たちは慌てて我が子を抱きかかえて水の外へ走り出た。
「この気色の悪い清々しさを居心地の良い不潔で有毒なものに変えるのじゃ。戦闘員どもしっかりやれ!ええいもっと大量に撒かぬか」
ヨーゴス・クイーンが檄を飛ばす。
「闇に包まれ毒にまみれた住みよい徳島を実現しまぁぁぁす!ヨーゴス軍団にご期待下さぁぁぁい!」
「やかましいぃ!」
ドガッ!
ぐええええ!
タレナガースの背後から青い光の矢が飛来してケモノのマントに突き刺さるや、長身の魔物は衝撃で前方へ吹っ飛ばされて戦闘員が撒き散らした液体瘴気の上へ転がった。
「いい加減にしないかタレナガース!」
渦戦士エディーだ。巨漢タレナガースを吹っ飛ばした今の青い光の矢はエディーの急降下キックだったのだ。
「家族の楽しいひと時を台無しにして!いったい何を考えているのよ」
エリスも怒り心頭に発している。
「う、いたたた。来おったかエディー。後ろから不意打ちとは腕をあげたのう」
「ぷぷ、ひょっひょ。。。タレ様が吹っ飛んで。。。ひょひょ、ひっくり返ったではないか。い、忌々しいヤツめ。ひょっひょっひょ」
「これクイーン。笑うか怒るかどっちかにせぬか。余が転がったのがそれほど面白いか?」
「おも、おも。。。憎たらしい」
「ケッ。まあよい。戦闘隊長、液体瘴気の散布はひとまず中止じゃ。戦闘員どもを指揮してエディーめを倒すのじゃ」
一般戦闘員よりも体格が良い戦闘隊長がエディーの正面に立った。その背後に噴霧タンクを降ろした戦闘員5人が横一列に並ぶ。
戦闘員は黒地に白抜きのドクロマークが描かれたヘルメットをかぶり、顔はガスマスクで覆われている。首から下はタレナガースと同じ迷彩色のコンバットスーツに軍用ブーツだ。
ぎぎぃ。
戦闘隊長が右腕を振って指図した。同時に5人の戦闘員が左右に展開してエディーを取り囲むや一斉に飛びかかった。
バシッ!
ぎい。
ズバン!
ぎょおええ。
ドガッ!
げえい。
だが破壊力、速さともにエディーに遠く及ばない。
いずれも一発の拳も届かぬうちにエディーの反撃を喰らって黒い塵となって霧散した。
5人目の戦闘員を蹴散らしたエディーの左から突如鋭い殺気が迫った。
「む!?」
咄嗟に体をかわしたエディーの眼前わずか数センチのところを黒い何かが薙いでいった。
戦闘隊長だ。
身なりは戦闘員と同じだが戦闘隊長は頭と顔をすっぽりと覆う黒いマスクを被っていて、その中央に赤く光る小さな丸い目が三角形にみっつ並んでいる。
目も鼻もないのっぺらぼうだが、じっとエディーを見ているのがわかる。
「なるほど、隊長ってだけはある。ひと味違うな」
エディーは油断なく構えを取ると戦闘隊長と対峙した。
戦闘隊長が左右のワンツーパンチから回し蹴りを繰り出した。
さらに下段から上段への二段蹴り。
ストレートを見せておいて死角からのフック。
いずれも流れるような連続攻撃だ。
―――さすがだな。
だが!
「次はオレのターンだ」
右からのハイキックを受け流すや、エディーはその勢いのままクルリと体を回転させてフェイントと共に強烈な旋回式バックブローを戦闘隊長の側頭部にヒットさせた。
ガラスが押しつぶされるような音がして戦闘隊長の体がぐらりと揺らいだ。その脇腹へ腰の入った重いブローを叩き込む。
彼らの体内に人間と同じ臓器があるのかどうかはわからないが、戦闘隊長は2、3歩後退してがくりと片膝をついた。
マスクの赤い3つの光がチカチカと点滅する。
さぁとどめだ。
エディーがわずかに腰を落として連続回転蹴りの構えに入った時、戦闘隊長が不意にジャンプしてエディーにしがみついてきた。
「わわっ。な、なんだ?放せ。こいつ!」
エディーは首に回された両腕を引きはがそうとするがまるで母親にしがみつく幼子のように死に物狂いで食い下がってくる。
今までの見事な格闘技はどうした?
その時エディーの脳内で赤信号が点灯した。
「む、こいつまさか!」
エディーはコアの渦エナジーを激流のように循環させてパワーを増大させるや、両腕をしがみつく戦闘隊長の腕の内側に強引にねじ込んで一気に引き剝がした。
ぬおおおおお。
そして逆に戦闘隊長の腕の付け根を掴んで懐に潜りこむと背後へ倒れ込みながら両足を相手の胸に当て、一気に背後へ投げ捨てた。
それは投げるというよりも遠くへ跳ね飛ばすといった具合で、戦闘隊長は数メートル先へ飛ばされて肩から地面に激突した。
その瞬間!
ドドオオオオン!
戦闘隊長の体は木っ端微塵に吹き飛んだ。
「きゃああ」
エリスが驚いて体をこわばらせている。
爆発は風を呼び親水公園一帯に土埃が舞った。
「やはりオレを道連れに自爆するつもりだったのか」
「なんてことを!自爆装置を埋め込むなんて。タレナガースのヤツ、命を何だと思っているの!?」
エリスの慈愛は時に敵に対してもむけられる。こうした戦法は彼女が最も忌み嫌うものだ。
「ケッ。青臭い。配下の者をどう戦わせてどう使うかはすべて余の自由!口出しするでない」
「その配下はもう残っていないぞ。次はお前だタレナガース、さぁかかってこい!」
エディーがタレナガースを指さした時、砂塵の向こうからもうひとつの、全く別の気配がした。
「ふぇっふぇっふぇ。貴様の相手がお出ましじゃ。戦闘隊長は単なる客寄せの前座よ。真打はホレあちらに」
言われなくとも覚えのある気配が近づいてくる。嫌な気配だ。
ゆるやかな風が少しずつ砂塵を押しやってゆく。その向こうに人影が見えてきた。
「来たか」
端からわかっていたことだ。
ヨーゴス軍団がモンスターも従えずわざわざこんな郊外の開けた公園に現れるとは、何か魂胆があるとしか思えなかった。
エディーをおびき寄せて影にぶつけるという寸法だろう。
「バトルにおあつらえ向けの場所を選んでおいてくれて有難うよ、タレナガース」
そう言うとエディーは背後のエリスに目配せした。
エリスも片手を上げて応じた。既に公園の木立の影に人々を避難させている。
幸い液体瘴気の被害に遭った人はいないようだ。エリスは公園に撒かれた液体瘴気の成分を調べ始めた。
―――後ろは安心だ。あとは。。。
エディーの黒いゴーグル・アイが影を睨んでキラリと光った。
「いくぜ!」
膨れ上がるエディーの闘気が影にも連鎖したのか、両者は同時にダッシュした。
シュバッ!ビシィッ!
ストレートがクロスして火花を散らせた。
フックからのエルボー。
上体を反らせてスウェイした所へ追撃のワンツー。
フェイントをかけてジャンプし死角を突いたローリング・ソバット。
体勢を崩した上体を掴んで肩越しに投げた。
エディーお得意の戦法ではあるが、影の方でも同じ技を繰り出してくる。
「相変わらずオレと同じ力量で立ち向かってくるな」
予想していたことではあるがやはり面倒だ。
「ならばこれはどうだ」
エディーは僅かに腰を落として体を影に対して斜めに構えると一気に地面を蹴った。
くらえ激渦疾風脚!
シュババババッ!
バシィ!
ところが影も同じ攻撃を繰り出しており、空中でふたつの渦が激突した。
「うわっ、くっ」
エディーと影は蹴り足をもつれさせたまま肩から地面に落下した。
それでも素早く地面を転がって左右に分かれ、再び立ち上がって構える。
「なによもう。。。まるで鏡を見ているみたいだわ」
戦況を見守るエリスが嘆いた。
「影を倒すってことはエディーを倒すってことじゃない。エディーを倒す方法なんて。。。」
考えれば考えるほど途方に暮れてしまう。
今のエディーに勝てるのはただひとり。
「アルティメット・クロス。。。」
だが、強化変身しても一撃で「エディー」を倒せるものか?
アルティメット・クロスは無敵だ。過去エディーが苦戦したモンスターをもことごとく葬ってきたが、それとて一撃で打ち倒したわけではない。
相手の能力を短時間で我が物とし、そのレベルまでまったく同等のものとなる特性を持つあの影のことだ。二撃、三撃と手を重ねてゆけばアルティメット・クロスと同等にまで昇華してしまわないとも限らない。
もしもあの影がアルティメット・クロスの力を手に入れてしまったら。。。
「最悪だわ」
だがほかに手はない。どうすればいい?
「一か八かだ。やるかいエリスちゃん?」
いつの間にか傍らに緑の超人が立っていた。
「スダッチャー。いつの間に?」
緑のバトルスーツに身を包んだ超人スダッチャー。バトルのためならどこにでも現れるバトルフリークだ。
正義の味方とは言い切れぬ。気まぐれでエディーにもバトルを挑んでくることがある。
ココ一番の助けになるときもあるが、決まりかけた勝負をチャラにしてしまうこともある。
いつもは緑のゴーグル・アイが悪戯っぽく光っているのだが、今度の相手ばかりはスダッチャー自身うんざりしている。
早いところエディーに退治してもらいたいというのが本音だろう。
「ヨーゴス軍団がわざとらしく暴れてるってんで来てみたのさ。エディーVS影。案の定始まるやいなや膠着状態ってわけだ」
エリスは黙って頷いた。
「赤いエディーになるしかないぜ。エリスちゃんもそう思っているんだろう?」
「ええ。だけど一撃で決めなければ影にパワーアップのチャンスを与えてしまうかもしれない」
「ううむ。。。それだな。まぁ普通に戦えば赤いエディーが勝つに決まってるんだろうがよ、今度の相手は時間が勝負だ。オレ様の見たところコンマ5秒ってとこだな」
なにやら訳知り顔でひとり頷いている。
「でも言っただろ、オレ様が手を貸してやるって。安心しなよエリスちゃん」
スダッチャーが鼻の下をかきながら胸を反らせた。
「あなた、コンマ5秒って具体的にわかって言ってるの?」
「フン、あっという間ってことさ」
―――はぁ、頼っていいのかなぁこの人?
だが、初戦でエディーたちがうまく影の前から姿を消せたのはスダッチャーのおかげだった。
「もう一度オレ様の閃光スダチ・ソードを使う。今度は撤退じゃなくてその隙に赤に変身するんだ。どうだ、やれるかい?」
「エディーなら大丈夫。きっとやれるわ。だけど強化変身して影をより確実に一撃で斃すためにもうひとつスダッチャーに協力して欲しいことがあるのよ」
「はい?」
ズガガガ!
エディーと影が互いの打撃の衝撃で左右に大きく飛ばされた。
ズザザザザ。
同じダメージを重ねながら両者はバトルを延々と続けた。
だがいずれ少しずつその戦いぶりに差が現れるのだろう。
それは戦う原動力が有限か無限かの違いだ。
そして渦エナジーは強力だが無限ではない。
それでもエディーは攻撃の手を休めない。
「何か。。。何かヒントがあるかもしれない。どこかに勝機が隠されているかもしれない」
遠巻きに冷ややかな視線を送るタレナガースとヨーゴス・クイーンをよそに、エディーはバトルに集中していた。
「エディー、仕掛けるわよ」
エリスの声だ。
「今からスダッチャーのソードでまた影を消すわ。前回の経験から、姿が消えている間は影も五感を失う可能性が高い。その間に強化変身して一気に決めて!反撃はさせちゃダメよ」
「よし、わかった」
エディーは2、3歩後退するとスッと腰を落とした。
連続回転キックの構えだ。
すかさず影も同様の構えに入る。
だがそれは敢えて敵との距離を取るためのエディーのフェイントだった。
エディーが地面を蹴ってジャンプするふりをした瞬間、影が先にジャンプした。
そこへ。
「久しぶりだなぁオイ!」
再びスダッチャーがスダチ・ソードを振り上げて乱入した。
エディーと影の間の地面にソードを思い切り叩きつけた。
ピシャァァァァァン!
音のない爆音がして閃光が弾けた。
スタングレネードなどと違い大音響は発しないが、瞼を閉じてなお眼球を刺すような強烈な光が迸った。
公園のあらゆる影という影が光の洪水に洗われて消えた。もちろん爆心の至近距離にいたストレイ・シャドウは真っ先に消滅した。
その隙にエディーは赤いアルティメット・コアを胸の青いコアに重ねて置いた。
アルティメット・コアによって渦のエナジーが急激な化学反応を起こし、エディーの体内で激流と化して対流を始めた。
だが閃光は十数秒続くと急激にしぼみ始めた。消えていた影がまたうっすらと姿を現し始めたその時。
とぉりゃああ!
スダッチャーの閃光スダチ・ソードが再び弾けた。
パァァァァァァン!
体内の血液が一瞬ですべて入れ替わるような痛みに似た高揚感がエディーの全身を包み込む。
体の中に納まりきらぬエナジーが赤いオーラとなって発せられた。
だが二撃目の閃光もしぼみ始めた。
そこへもう一撃。
シュパパパパァン!
赤いバトルスーツの胸にコアを守る金色のクロス・ガードが展開した。
シュアアアアアア。
うおおおおおお!
渦戦士エディーの最強形態、アルティメット・クロスに変身完了だ。
「アルティメット・ソード!」
アルティメット・クロスに強化変身するやいなや左右の掌の間に赤いエナジーを集めてアルティメット・ソードを錬成し始めた。
だが。
「光が消える」
まるで激流の水が大きな穴に流れ込むように閃光スダチ・ソードの最後の光がかき消えた。
「くそ、間に合わないか」
必殺の赤い大剣はまだ完全に錬成されていない。
影は空中で連続回転キックを繰り出そうとしていた。
飛来する神速のまわし蹴りを紙一重でかわすやアルティメット・クロスはようやく錬成を終えたソードを脇に構えた。
その時、横合いからスダッチャーが両者の間に割って入った。
「ヘイヘイ。オレ様も仲間に入れろよ。忘れちゃいねぇだろうな。エディーなんかより先にあれだけバトルしたんだ。さぁオレ様とバトル再開だ!」
影はほんのわずか逡巡した。
今、戦うべき相手はエディーなのか?それともスダッチャー?ふたりの実力は拮抗している。
流れるような動きを見せていた影が動きを止めた。
その瞬間、スダッチャーが脇へ飛びのきその背後からアルティメット・クロスが飛び出した。
危機を察した影が慌ててジャンプした。
だが一瞬早く、地を這う切っ先が一気に振り上げられて頭上にいる影のボディを脇腹から肩にかけて斜め上に切り裂いた。
ソードの刀身はアルティメット・クロスに確かな手応えを伝えた。
影は数メートル先の地面に着地した。
ずるり。
均整の取れた影の体が大きく崩れた。
影のボディに赤い筋が斜めに入っている。皮肉なことに、影は初めて黒以外の色彩をその体に得た。
影のシルエットが赤い筋を中心にふたつに割れて、左右に分かれてゆっくりと地面に落ちた。
「やったか!?」
固唾を飲んでそのようすを見ていたスダッチャーがじりじりと影に近寄る。
エリスもアルティメット・クロスの傍らへ駆け寄った。
3人が見下ろす地面の上で脇腹から肩へ逆袈裟に真っ二つにされた影は僅かに動いているようだったが、やがて陽の光の中で少しずつ薄くなってついには消滅した。
「消えた。。。」
「死んだのか?」
「あるじの元へ行ったのよ。ようやくあるじと共に成仏できたんじゃない?」
「成仏か。なんだか日本っぽいね。あの影は西洋人の影だったのに」
「いいのよ。何百年もこの世界を彷徨って見知らぬ国の見知らぬ土地へやって来て、私たちに出会ってようやく呪いから解放されたのよ。これが成仏でなくて何なのよ」
アルティメット・クロスとエリスとスダッチャーに見守られながら呪われたストレイ・シャドウは消滅した。
エディーからアルティメット・クロスへの急激な強化に対応しきれず閃光と共に現れた「見知らぬ相手」に敗れたのだ。
エリスによって液体瘴気の黒い粘液はすべて中和され、透明の水を湛えた親水公園はまた平和を取り戻した。
ただ、タレナガースとヨーゴス・クイーンだけは忌々し気な視線をアルティメット・クロスたちに固定したまま渦巻く瘴気の中へ姿を消した。
<終章>何度でも
「今回はスダッチャーにお世話になっちゃったわね」
いつものカフェでヒロとドクは久しぶりのカフェ・ラテを味わっていた。
影に目を付けられつきまとわれて以来、こんな風にのんびりコーヒーを飲む気にもなれなかった。
「まったくだ。おかげでアルティメット・クロスへの強化変身を影に気づかれず、ソードにも十分なアルティメット・エナジーを注ぎ込むことができた。わずかな時間とは言えあの数十秒は貴重だったよ」
ドクは頷きながら厚切りトーストをかじった。
溶けたバターの香りがふわりと鼻腔をくすぐった。
「今頃はあの影もかつてのあるじとまた一緒に過ごしていられるかしら?」
「だといいな。『おい、お前長い間どこをフラフラ歩き回ってんだよ』ってね」
「フフフ。いにしえの黒魔術って言ったって、呪った人ももうこの世にはいないでしょうに。ひとりだけ取り残されてこの世を彷徨うなんて可哀そうすぎるわ。倒しておいて言うのも変だけど、勝てて本当に良かった」
言いながらテーブルに広げられた今朝の地元紙に目を移した。
どんな些細な異変でも見逃さずその裏に潜む不思議な謎を暴き出す。
そこにヨーゴス軍団の暗躍があれば叩きのめすまでだ。
そのためには。。。
「さぁパトロールだ」
「行きましょう」
十分ほどの後、2台の高機動バイク・ヴォルティカがルート55を南下していった。
タレナガースは恐らく次の悪事の準備に人知れずとりかかっていることだろう。
だが、天網恢恢疎にして漏らさず。
ふたりの渦戦士、エディーとエリスの目から逃れることは絶対にできない。
なぜなら彼らは必ず見つけ出すからだ。
清流に垂らされた一滴の毒液も。
極悪改造されたモンスターが通った跡に残された折れた枝の一本も。
化学で説明のつかないあらゆる超自然の奇怪な謎を解き明かして、必ずやヨーゴス軍団の前に立ちはだかるために!
何度でも。