渦戦士エディー
<魔法陣の怪物>
<一>三途の川の拾得物
三途の川。
此岸と彼岸、つまり生の世界と死の世界を分ける川である。
広い川幅の三途の川を渡るためには渡し舟を使うと言われている。
粗末な舟着き場がある賽の河原には乗船の順番を待つ死者たちが長い長い列を作っている。
皆下を向いて力なく足を引きずりながら前へ前へと移動している。
その横を大股でズカズカと歩く人影あり。
2mほどもある長身だ。
胸を張り肩で風を切っている。
しかもその顔は既に人にあらず。
青白いシャレコウベだ。
激しい恨みのためか、眉間のあたりが醜く歪んでいる。
額からは西洋の悪魔を思わせる左右一対の太いツノが伸びている。
赤い目には瞳が無く、不用意に覗き込めばその底知れぬ怨嗟の毒気に当てられて正気を失うことであろう。
迷彩色のコンバットスーツの上から茶色のケモノのマントを羽織っている。
ヨーゴス軍団の首領タレナガースだ。
乗船の順番など端から守るつもりもないのだろうが、はてあの世に渡るつもりなのか?
折しも一艘の手漕ぎ和舟が舟着き場に着いた。
向こう岸の彼岸からやって来る乗客などひとりもいない。
船頭が木の杭にもやい綱をひっかけて、乗船の準備を整えた。
さて乗船しようとした先頭の死者の襟首が突然引っ掴まれて後方へ放り投げられた。
タレナガースである。
タレナガースはまるで自分専用の舟であるかのように乗船すると真ん中に胡坐をかき、ひと言「出せ」と言った。
頭頂部が尖った丸い船頭笠を目深に被っていた船頭が初めて顔をあげた。
ムジナの化け物だ。
顔の上半分を占める大きな吊り上がった目は瞳が金色で、人と同じような鼻は先端が黒く濡れそぼって左右にヒゲが伸びている。
鎌のように広がる口からは三角形の鋭い刃が上下交互に並んでいる。
ムジナの船頭は無礼極まりないこの珍客を見てニマリと笑った。
船頭は再びもやい綱を解くと、タレナガースただひとりを乗せて舟を三途の川へ漕ぎ出した。
川のちょうど中ほどまで来ると、向こう岸に綺麗な花畑が見え始める。
彼岸である。
あそこへ上陸すれば名実ともに死者となり、そのすべては冥界の王たる閻魔大王の支配下に置かれることとなる。そして二度とこの舟で此岸へ戻ることは許されないのだ。
彼岸の船着き場が小さく見え始めた頃、舟は不意に進路を三途の川の上流へと向けた。
緩やかな川の流れに逆らってしばらくゆくと、川の真ん中に土地が横たわっているのが見えてきた。
どうやら中州のようだ。
サツマイモのように細長く伸びた砂利の中州の中ほどに粗末な小屋が建っている。
和舟が中州の砂利に乗り上げるとタレナガースはスッと立ち上がり無言で舟を降り、小屋に向かって川砂利の上を歩き始めた。
小屋の入り口には穴の開いたボロボロのこもがぶら下げられている。それを勢いよく跳ね上げてシャレコウベヅラの魔人が踏み入った。
「邪魔をするぞよ」
なんと小屋には先刻のムジナ船頭が座っているではないか。
だが先刻のムジナ船頭はタレナガースをこの中州へ降ろした後、再び死人を迎えに此岸の舟着き場へと向かったはずだ。してみるとこちらはうりふたつの別人というわけか。双子の交代要員であろうか?
もうひとりのムジナ船頭は大きな目を細めて煙たそうにタバコを吸っている。
「タレナガースか」
石臼で砂利を挽いたようなしゃがれた声だ。
「80年ぶりだのう」
久しぶりのわりには感慨も何もなさそうだ。第一顔も見ない。
「最近、なんぞ面白き物は流れ着いておらぬかや?」
タレナガースの問いにムジナ船頭は無言で顎をしゃくった。
「裏の籠にまとめて放り込んである。何があるかは知らぬが勝手にほじくり返して何でも持ってゆくがいい」
そう言うとまたタバコを口に挟んだ。
タレナガースはそれを聞くとクルリと踵を返して小屋を出ると裏へ回った。
そこにはタレナガース自身が中へ入ってゆったりと座れそうなほど大きな竹籠が置かれている。
覗き込むと何やらいろいろなゴミが雑多に放り込まれている。
これらは皆、三途の川を流れてきた物である。
元来死者は現世から物を持ってここに来ることはできない。しかしあまりに強く品物に執着した時、概念が実体化してこうした物を持って三途の川の渡し舟に乗る死者が稀にいる。
強い未練を残した品物が手に戻ったことで初めは喜んでいた死者も、舟が向こう岸に近づくにつれて不安に苛まれ始める。彼岸に着いたらそこはもう閻魔大王の支配する世界だ。死者たちが何を思い、何を恐れ、何を隠しているかなど瞬時に見通されてしまう。
こうした品物は往々にして生前の悪事に使った物だ。そんな品物を隠し持っていることが知れたら無間地獄へ放り込まれるかもしれない。悪人ほどその性根はビビりである。彼岸に近づくにつれて恐ろしくなった死者たちは途中でその品物を泣く泣く三途の川の流れに捨ててしまう。
そうした物がこの中州に流れ着く。
それらを集めて放り込んであるのがこの竹籠なのだ。
特定の死者にとってのみ価値のあるガラクタばかりだが、ごくごく稀に途方もないお宝が流れ着くことがある。
タレナガースは今日、それを求めてここへやって来たのだ。
タレナガースは上体を籠の上に乗り出してしばらく眺めていたが、やおら右腕を突っ込んでかき回した。
何かの鍵や巾着や書付や札入れなど、さまざまな品物がタレナガースの目に留まった。
何もない状態からここまで見事に実体化させるのは凄まじい執着心の為せる業であろう。
中にはブワッと元の持ち主の顔が浮かび上がり、触るなとばかりタレナガースを威嚇してくる品物もある。手放してなお執着心がこびりついているのだ。
「まぁあまり当てにはしておらなんだが、やはり余が使えそうな物はなさそうじゃのう。。。」
ガシャガシャと底の方から品物をかき回しながらタレナガースが呟いた。
が。。。
「ん?」
タレナガースの手が不意に止まった。
底の方に突っ込んだ手が引き出される。人差し指と親指が何かをつまんでいる。
タレナガースは目で見て選んでいるのではなく、その手触り、つまりそこに込められた魔力の強さのようなものを感じながらかき回していたのだ。
つまみ出されたのは一枚の動物の皮だ。
ハンカチほどの大きさの皮の銀面に何かが記されている。
タレナガースはしげしげとその皮をながめていたが「ふむ」と頷くとそれを持ってまた小屋の中に戻った。
「なんぞええモンはあったか?」
ムジナ船頭が上目遣いでタレナガースを見た。
「これはどのようなものじゃ?」
ムジナ船頭はタレナガースが差し出した物を受け取るとじぃっと眺めた。
皮の表には何やら円が描かれている。その円の中にもこまごまとした絵とも文字ともつかぬ印が書かれている。
「ほほう、使い捨て魔法陣か。それも未使用だのう」
「使い捨ての魔法陣じゃと?つまり何かを一度だけ召喚することが出来るというものか。で、何を召喚するための魔法陣かわかるか?」
俄然興味が湧いたとみえて、タレナガースは長身を折り曲げてムジナ船頭の手にある皮をのぞき込んだ。
だが、ムジナ船頭の返答は期待外れだった。
「わからん」
ムジナ船頭は至近距離にあるシャレコウベヅラを平然と見返してにべもなく言った。
「この手の魔法陣は召喚してみなければわからぬのよ。召喚する日によっても現れるモノは違うであろうし、場所によって変わるかもしれぬ。まぁ魔物には違いあるまいが、大魔人が出るかもしれぬしミミズの如き小物が現れるかもしれぬ。とにかく宝くじのようなものじゃな」
「ふぅん」
タレナガースはムジナ船頭の手から魔法陣が描かれた皮を取り上げるともう一度それをしげしげと見た。
「マニュアルは無いのかえ?」
「あるかいそんなモン」
魔法陣は取り扱いをしくじると使用者に結構なしっぺ返しが来る。想像以上に繊細で危険な呪物なのだ。
「心配せんでも難しい決まりごとはない。そいつを地面に書き写して絵柄の部分に動物の生き血を流し込めばよい。ただし写し間違えるなよ。不完全な魔法陣をこしらえるととんでもない呪いを喰らうぜ。その上で何が現れるかはお楽しみじゃ。ただ、どんな魔物であれ、召喚した者の言うことには絶対服従するはずじゃ」
「相変わらず物知りじゃのう」
タレナガースは感心した。このような異界の掘っ立て小屋に身を置きながら、この船頭は何でも知っている。不思議な、そして油断のならぬヤツだ。
「とりあえずコレをいただいてゆく。邪魔したのう」
そう言うとタレナガースは懐から大きく膨れた白いレジ袋を取り出してムジナ船頭に放り投げた。
受け取って中を覗いたムジナ船頭の目が大きく開いて「ウキョー!」と叫び声をあげた。
レジ袋を引き裂いて取り出したのはポテトチップスの袋ではないか。
うす塩、ピザポテト、バーベキュー味にわさび風味とバラエティ豊かなラインナップだ。
うす塩の袋を勢いよく引き裂くと中のポテトチップスを貪るように食い始めた。
バリバリボリボリ。
タレナガースの背後でポテチを喰う音が盛大にあがっていた。
タレナガースが中州の端まで来た時、向こうから往きと同じ和舟がやって来るのが見えた。
まるで予約したタクシーが迎えに来たかのようなタイミングの良さだ。
乗り込んだタレナガースを此岸の舟着き場で降ろした時、ムジナ船頭の口の端にポテトチップスの欠片が付いているのをタレナガースだけは知っていた。
<二>魔法陣起動!
とある山の中、タレナガースは足元をじっと見つめて立っている。
「完成じゃ」
灌木や草をきれいに刈って、乗用車なら詰めて20台くらいは停められそうな開けた場所だ。
その地面には溝が幾筋も掘られている。
傍らに立っているとはっきりとは判別できないが、高い樹上から見下ろせば大きな円の中に何やら複雑な紋様が掘られているのがわかる。
魔法陣である。
つまり先般タレナガースが三途の川の渡し舟の船頭から入手した呪物だ。
タレナガースはそれをこの地面に正確に再現し終えたのだ。
開けた土地を涼やかな風が吹き抜け、満足げに腕組みをして魔法陣を眺めるタレナガースのケモノのマントがひるがえる。
「けったくそ悪いこの清風も、間もなく不吉な妖気の風に変えてくれる。クィーンよ来ておるか?」
その声に応じて木々の間から紫色の鬼女が姿を現した。
細い目は恨みに吊り上がり、ハチのような或いはクモのような毒を持つ虫の化身は紫の体毛に覆われている。
タレナガースの右腕にしてヨーゴス軍団の大幹部ヨーゴス・クイーン。恨みの深さ、執念深さ、そして残虐性において首領タレナガースに引けは取らない。
「これに控えておりまする。タレ様や、この獲物をどうなさるおつもりですかの?」
呼ばれたヨーゴス・クイーンは、体長2m以上、体重は優に100kgもありそうな巨大なイノシシを片手でズルズルと引き摺っている。
ズルズルと引き摺ったままタレナガースの傍らまで来ようとして、魔法陣の一角に踏み込んだ。
「あああああああ!」
それに気づいたタレナガースは悲鳴と共に飛び上がった。
「さがれっ!しっ!しっ!」
野良犬を追うように手を振ってクイーンを魔法陣の外まで押し返す。
「なな、何じゃ!?いかにタレ様とはいえしっしっとはあまりに無礼であろう」
「ええい、黙れ!せっかく余が苦心してこさえた魔法陣が崩れてしもうたではないかっ!」
タレナガースは跪き片頬を地面にくっつけて魔法陣の抉れた部分を凝視した。
「ひと月じゃ。ひと月も費やしてようやく完成したのじゃぞ。。。クイーンめはそうやっていつもいつも余の邪魔をする。しまいにゃ泣くぞえ」
「土下座をしながら何をブツブツぬかしておいでじゃ?まぁタレ様の土下座など滅多に見られぬものを見せてもろうた故、特別に許して進ぜよう」
そう言うとヨーゴス・クイーンはイノシシをその場にほったらかして再び木々の陰に姿を消した。
10日後。
タレナガースは再び魔法陣の傍らに立っていた。
ヨーゴス・クイーンに踏み荒らされた部分を正確に修復し、皮に描かれた原画と数度にわたって見比べて寸分の違いもないことを確認した。
「よし」
今日こそこの魔法陣から魔物を召喚してみせる。
背後の木陰では興味津々のヨーゴス・クイーンが顔を出している。
そこから一歩も近寄るなと厳命されている。
タレナガースは、あの日ヨーゴス・クイーンが仕留めた大イノシシの血を大きなかめに入れて用意してある。
そのかめを魔法陣の近くに置くと「おおおおおおおお」という地鳴りの如きうめき声が沸き上がった。
飢えている。
渇している。
この魔法陣の「すぐ下」にいるモノのうめき声だ。
早くその血を飲ませろと催促しているようだ。
不思議なことに地面から風が吹きあがった。タレナガースのケモノのマントが真上にめくれあがる。
タレナガースはかめを持ち上げて、中のイノシシの血をその溝の一角にそろりそろりと流し込んだ。
外円の溝に流された血はみるみる地面に赤い魔法陣の円を浮かび上がらせる。そして更にその内部の複雑な紋様を徐々に赤く描いていった。
それは、タレナガースが溝に注ぎ込むというより、魔法陣の方でゴクゴクと喉を鳴らして飲むように、かめから血を吸い出して己の溝に流し込んでいるふうだ。
そして、ついに赤い血の魔法陣がこの世に生まれた。
三途の川のムジナ船頭が「使い捨て」と言ったように、この魔法陣はこの世にただ1体の魔物を召喚してその役目を終える。
タレナガースの手にある皮に魔法陣を描き切った者は、生前これを作り上げることに執念を燃やし、ついに魔物を召喚することなくその一生を終えたのだろう。
何かを念じてこの魔法陣の姿を調べ上げたのだ。苦労して描き上げた結果現れるのがたとえネズミ1匹であるかもしれぬとしても。
「ふぇっふぇっふぇ。余がこの魔法陣に一瞬の命を与えて進ぜよう。これをこの皮に描いた者にとっても何よりの供養であろうよ」
彫り込まれた溝にイノシシの血が沁み込んでゆく。
しばしの静寂の後。。。
ゴゴゴゴゴゴ。
地鳴りと共に大地が揺れ始めた。
「む、来たか」
タレナガースの赤い双眸が鈍い光を宿した。
揺れが激しくなり、魔法陣を中心に幾筋ものひび割れが走った。
ズゥゥゥゥン。
地面が大きく割れて陥没し、地中から巨大な腕が伸びて赤黒い五指が地面を掴んだ。
邪悪なオーラをまとった何者かが上がって来る。禍々しい姿が徐々に地上に現れる。
一瞬で魔法陣は粉々になった。と同時にタレナガースの手にあった魔法陣を描いた皮から突然青い炎が噴き出し、灰となって崩れた。
大きく黒い口を開いた地面を見下ろしていたタレナガースの視線が次第に上へ向き、己の全身に影を落とす巨躯を見上げて歓喜の表情を浮かべた。
「おおおおお!この魔法陣は当たりじゃ。大当たりじゃ!」
背後のヨーゴス・クイーンは出現したモノを見て腰を抜かしていた。
「ご。。。ご。。。ご。。。ずぅ!」
その姿はヨーゴス・クイーンに二度と思い出したくない地獄の光景を思い出させた。
木の陰で膝を抱えて怯えおののくヨーゴス・クイーンと、どす黒い悦びを全身にみなぎらせる魔人タレナガース。
タレナガースは両腕を大きく広げて天に向かって咆哮した。
ふぇ〜っふぇっふぇっふぇっふぇ!
<三>不気味な影
深夜の徳島自動車道。
一台の長距離トラックが上り車線を走行している。
前後に車はいない。ゆるやかなカーブを順調に走っている。
前方にトンネルが見えた。
これから少し長めのトンネルが続くエリアだ。
オレンジ色のナトリウム灯が規則的に並ぶトンネル内に入る。
遠くに出口が見えた時だ。
ガガーン!
大音響と共にトンネルが崩壊した。
「うわっ、崩落か!?」
ドライバーは急ブレーキを踏んだ。
無数のコンクリート片が弾けとび、白煙がもうもうと舞った。
山の土砂ごとトンネルが崩れ落ちて来る!トンネル内に生き埋めになるのはごめんだ。
ドライバーは大慌てでトラックを方向転換させ、対向車線を猛スピードでトンネルの外へ走行させた。
後続車がいなかったことは幸いだった。
なんとかトンネルから脱出したドライバーはようやく落ち着きを取り戻し、トラックを下り車線の路肩に停車させると、たった今走ってきた上り車線に三角形の停止表示板を置いて後続車がトンネル内に入らないよう警告した。
緊急用の電話で道路管制センターへ異変を報告しながら、ドライバーは初めて先刻の崩落のおかしな点に気がついた。
「崩れたのは天井じゃなかった。。。横からバーンと来たんだ。そうだよ。壁面が破裂したんだ」
間もなく黄色いパトロールカーが到着するだろう。その前にもう一度現場を見ておこう。
ドライバーは意を決して徒歩でトンネル内へ踏み入った。
まだ土煙は収まっていない。
―――やばいぞ。まだ崩れているのか。やっぱり外へ出よう。
そう思って踵を返した時。
ぶぉおおおおおお!
何かの叫び声が耳をつんざいた。
「な、なんだ!?何かいるのか?」
その時ドライバーは確かに見た。
土煙で白濁した大気の向こうにある真っ赤な目を。
ナトリウム灯に浮かび上がるトンネルの天井にまで届きそうな大きなシルエットを。
そのシルエットの上端から伸びる一対の太いツノを。
―――牛?
だがトンネルのコンクリート壁を突き破ってくる牛などいてたまるか。
こいつは。。。
「か、怪物!」
だめだ。
これは事故や自然災害じゃない!
謎の巨大な影にクルリと背を向けると、ドライバーは駆け出した。まるでターボエンジンのためのエアインテークのように大きく口を開いて一目散に駆けた。
前方から高速道路のパトロールカーのヘッドライトと回転灯が見えた。
「来ちゃダメだ!来るなぁ!」
ドライバーは両手を振りながらパトロールカーを制止した。
ここにいてはいけない。
「逃げるんだ!」
怪物がいる!
いつものカフェのいつもの奥の席。
ヒロとドクはテーブルの上に今朝の地元紙を広げて記事を隅々まで読んでいた。
地域面に昨日の不可思議な出来事の記事が大きく載っていた。
トンネルの側壁を破壊した巨大生物?
「牛のモンスターか。。。」
ふたりは左右から顔を寄せて記事を読んでいる。
読み終えると椅子の背もたれに体を預けて「う〜ん」と唸って腕組みした。
頑丈なトンネルを易々と破壊した巨大な牛モンスター。
はっきりとその容姿が目撃されたわけではない。
コンクリート片と土煙の向こうに見えたシルエット。
2本の太いツノが印象に残っているという。
目撃者は突然の邂逅に冷静さを失っていた。無理もないことだ。
「だけどモンスターがいたのは間違いなさそうね」
記事は、ヨーゴス軍団の暗躍の可能性について言及しており、最後はエディーの出動を期待するニュアンスでしめくくられていた。
期待には応えねばならない。ここはどうでも念入りに調査しておく必要があるだろう。
そうと決まれば。
「マスター、モーニングセットふたつ。ツナマヨトーストとブレンドコーヒーで」
2台の前二輪高機動トライク、ヴォルティカが徳島自動車道にある問題のトンネル前に停まった。
あの日以来この区間は通行止めになっている。
管理センターの職員が警官と共に現場検証をしている最中だ。
謎のモンスターがまたここへ舞い戻って来やしないかと皆緊張の面持ちだが、エディーとエリスの姿を認めて自然と表情が和らいだ。
190cm以上ある大柄なボディ。
全身に纏う黒いバトルスーツはシルバーとゴールドのコンバット・アーマで護られている。
眉間、胸、へその位置。気の流れで言う3つの丹田に、それぞれ渦エナジーの溜まりとも言うべき青いクリスタル状のコアが埋め込まれている。
渦エナジーの影響を受けて青く煌めくゴーゴル・アイは、悪者の目には厳しく、そうでない人々の目には優しく映る。
渦のパワーと正義の心に裏づけられた無敵の強さは、徳島とそこに住まうすべての人々を守るために揮われるのだ。
後続のエリスも同様のコスチュームだが、エディーに比べれば華奢な女性らしい体つきだ。
コンバット・アーマが覆う面積が小さい分だけ戦闘力は低いが、鋭い洞察力を持つ状況分析と解毒のエキスパートで、エディーの頼れる作戦参謀である。
「お疲れ様です、皆さん」
「何かわかりましたか?」
歩み寄る渦戦士たちに、警官たちは眉間に深い皺を刻んだまま首を左右に振った。
「とにかくこれを見てください」
と、トンネルの壁に穿たれた直径5mほどもある巨大な穴を指さした。
大きな半円形のトンネルの上り車線側と下り車線側にひとつずつ大きな穴が口を開いている。
「こちらから飛び込んできて、反対側へ抜けたようです」
路面にしゃがみこんでコンクリートの破片の飛び散り方を観察していた管理センターの職員が左右の穴を西側、東側の順に指さした。
「なるほど」
「地中を掘り進むモンスターってことね」
地中を進んできたモンスターの進路上にたまたまこのトンネルが走っていたというところか?
掘られた穴は土砂が崩落して埋まっているため奥までは見通せない。
「記事にあったような牛かどうかは別にして。。。」
エディーが頷いた。エリスが何を言わんとしているかわかったのだろう。
「そうだな。こんな芸当ができるのはモンスター以外にあり得ないよ」
トンネルを真横にぶち抜いたもうひとつのトンネルを覗き込んでいたエディーとエリスは20分ほどで調査をきり上げた。
分厚いコンクリートにあんな穴を開けるだけの破壊力の持ち主だ。
今度の敵は相当なパワーファーターと言えよう。
エディーは停めてあるヴォルティカに向かった。
「モンスターがこのまま東へ向かったとすれば町へ出ることになる。この進行方向に向かってパトロールしてみるよ」
「私は別行動をとるわ。逆方向へ向かってみようと思うの」
「謎のモンスターがやって来た方へかい?」
「そう。後で私も追いかけるわ」
そう言うとエリスは、東へ向けて走り去るエディーを見送って自分もヴォルティカ2に跨った。
<四>緒戦
エディーと別れた後、エリスはトンネルの現場から西へヴォルティカで20分近く走り、山の麓から徒歩で山へ分け入った。
早々にエディーと合流するつもりだったが、目当ての場所にたどり着くまでにかなりの時間を費やしてしまった。
しかし苦労した甲斐あって、山の中の不自然に開けた場所で、ついに大きく裂けた地面を発見した。
「ここだわ。。。」
裂けた地面を覗き込むと、そこにはまるで異世界に通ずるかのような闇が口を開いていた。
「モンスターはここから出現したのね」
その時エディーから連絡が入った。
「え?ため池に?」
トンネルの現場から東へヴォルティカで15分ほど走った所に農業用のため池が造られている。
そのため池の堤体が大きく崩されているという。
畑へ出かけた住民が、ため池の方から大量の水蒸気が上がっているのを目撃し警察に通報したのが発覚のきっかけだった。
ため池の周囲には警察の規制線が張られていた。
到着したエリスは担当警官の許しを得て黄色と黒のトラテープを跨いだ。
先に来ていたエディーが問題の場所を指さした。
「ホラあそこ」
報告通り、ため池の外周を固める堤体の一角が無残に崩されている。
ひと眼で自然に崩れたのではないとわかる。ショベルカーのような大きくて強いツメで土砂をえぐり取っているのだ。
「あの堤体の数メートルほど西側に何か大きな物が現れたような穴があるんだ」
「とすると、もしかしてため池の反対側に?」
エリスの問いにエディーは大きく頷いた。
「ご明察。反対側には何かで掘り返したような穴がある」
エリスはため池の周囲を回ってふたつの穴を確認した。
「トンネルの現場と同じね。出てきた穴と潜った穴」
「で、モンスターはわざわざここに出てため池でひと泳ぎしたってわけか?」
エディーはふたつの穴の真ん中に横たわるため池を眺めて呟いた。
ため池に飛び込んだモンスターは再び土の上に出るために堤体に爪を立てたのだろう。
―――でもなんでわざわざため池に?
牛のモンスターがため池の中を泳ぐ必要があるのか?
住民が見た水蒸気って?
いろいろわからないことは多い。
「だが肝心なのは。。。」
「次よね」
そういうことだ。ふたりは頷き合った。
「実は私が見てきた最初の出現場所と思われる地点からからトンネルの現場、そしてこのため池は、ほぼ西へ一直線なのよ」
「なるほど。モンスターは明らかに何かを目指して進んでいるという訳か」
「先回りして止めなきゃ。現状だとこいつ、徳島市街地をめざしているわ」
2台の高機動トライク、ヴォルティカが並走している。
エディーとエリスのパトロールエリアは例のため池と徳島市街地の間に限定されていた。
これほど出現予定地が絞り込み易いケースは珍しいが、敵もそれは承知だろう。それほどに自信があるということだ。
トンネルは偶然モンスターの進路上にあって破壊されたとしても、エリスが調べた最初の出現地と思われる場所からため池の距離を仮に地中での行動限界だとすると、次に徳島市街をダイレクトに直接襲うとは考えにくかった。
「このあたりのはずだね」
「ええ。だけどどうしてこのモンスターは定期的に地上へ出てくるのかしら?」
エリスの疑問はエディーもずっと抱えていたものだ。地中を進み続ければエディーたちに阻止する手段はない。
「よほど燃費が悪いか?」
「ええ。でも地上に出て何かを摂取したようすはないわ。となると。。。」
「呼吸でもしに外へ出たのか」
「もしくは。。。熱を冷ますためか」
「熱か」
「ため池の水に水蒸気。。。とくれば熱かな?って」
「なるほどね」
エディーが大きく頷いたときだ。
ドガーーーン!
その時、苗を植えたばかりの水田が破裂した。
吹きあがった土砂の中から巨大な炎が噴き出し、それに続いて巨大な手がふたつ出現した。
次いで天を突くような太い二本のツノ。
大量の土砂をものともせず全身を現したのは3mを優に超える巨体だ。
その行く手にエディーが立ちはだかった。
「やはり現れたな」
「予想が的中したわね」
ごおおおおお!
ついにエディーたちの前にモンスターがその全貌を現した。
「牛!」
そうだ。
頭部は牛。左右のこめかみからは戦国武将の兜の脇立を思わせる見事なツノが真上へ伸びている。
目は怒りに赤く燃え、鼻の穴からは怒気が蒸気となって噴き出している。大きく裂けた口からは鋭いキバが上下にのぞいている。
首から肩にかけて筋肉のこぶが大きく盛り上がり、アメリカバイソンを連想させる。
肩から背にかけて黒い剛毛が覆っている。
ボディビルダーの如き人間の腕が伸びているが後ろ脚は動物のものだ。ただ、その足で器用に二足歩行している。
上背は5m近い。エディーの倍以上の背丈だ。
岩のような筋肉が大きなボディをガッチリとホールドしている。
「牛のキメラモンスターか。。。」
「牛頭だわ」
「ごず。。。?」
牛の頭を持つ怪物は、牛頭または牛頭鬼と言われ、鬼と同じく地獄に堕ちた亡者たちを苛む獄卒として知られている。
こいつが本当に地獄からやって来たものかはわからぬが、正体が何であれモンスターなら倒すのみだ。
現にここまでトンネルやため池に被害が出ているし、ここでも田畑が荒らされてしまった。このまま徳島市街地へ進まれてはどのような被害が出るかわからない。
「お前の進撃もここまでだ」
エディーは大きくジャンプすると牛の鼻先へ渾身のパンチを撃ち込んだ。
右手の甲にはエリスが考案した攻撃用のナックル・コアが装着されている。エディーの闘志と拳に込められた力に呼応して渦のエナジーを前面に放出してパンチの破壊力を飛躍的にアップさせる。
思いのほか強烈な打撃を食らって牛頭は頭を振って一歩後退した。
ごおおおおお!
牛頭は重そうな頭を振ると再びエディーに向かって怒りの雄叫びをあげた。
この世界に現れて始めて食らった攻撃だ。効いたというよりは驚いたというのが正直なところだろう。
牛頭の怒気が益々強くなり立ち昇るオーラは今にも炎を噴き上げそうだ。
前進してくる巨体の敵を相手にするときは足を狙う。
エディーの素早いキックが牛頭のひざ関節に連続で叩き込まれた。
巨木もへし折る打撃のはずだが、牛頭の体勢は揺るがない。ガードもしない。
「堅いなぁ」
まるで自分の脚が膝蹴りを食らったような衝撃だ。
平然と前進してくる敵にエディーはむかっ腹がたってきた。
「何としてもその足を止めてやるぜ」
膝と言ってもエディーの腹の高さにある。
ガシッ、ガシッ、ガシッ。
まるで岩のような膝がしらへ拳を叩き込んだ。
―――ここで止める。止まれ!止まれ!
その時!
「エディー、上!」
エリスの叫びではっと目線をあげた瞬間、左右の指を組み合わせた拝み打ちが頭上に振り下ろされた。
ズガッ!
ぐぅぅ!
咄嗟に両腕でガードしたものの、一撃でエディーは両膝を地面についてしまった。
エディーの連続パンチを食らいながら平然と攻撃してくるとは。
激しい衝撃がガードした腕をぶち抜いて脳天から全身を縦に走った。
グァシャッ!
ピキッ!
エディーの眉間のひし形のクリスタルに、縦に大きな裂け目が走った。
「きゃあぁ!」
たったの一撃だ。
エリスの悲鳴には信じられないという驚きも含まれていた。
エディーの渦エナジーを湛えたクリスタルが割れるなどかつて無かったことだ。
凄まじい衝撃のせいで意識が飛び、両膝をついたままエディーの頭がカクンと真下に落ちた。
それでも、戦う気力がエディーの意識をすぐに連れ戻した。
「まだだ!」
だが今度は真正面から牛頭の膝が飛来した。
ズゥン。
ぐふっ!
いつものエディーなら余裕でかわせるスピードだったが、今のエディーは地面についた膝を持ち上げることすら困難なありさまだ。
ゆっくりとしている分、破壊力は凄まじい。
エディーの体にめり込んだ膝は彼を数メートル後方へ跳ね飛ばした。
放り投げられた人形のようにエディーの体は路面に転がった。
エリスが駆け寄って上半身を抱え上げた。
「エディー、しっかりして」
「大丈夫さ。まだ、戦える」
だが、エリスの目はエディーの胸のコアに注がれていた。
エディーのバトルを支える胸のコアが色を失っている。
ただごとではなかった。
「額のクリスタルの裂け目から渦エナジーが流出しているんだわ」
このままでは戦闘を継続するどころか撤退することもできなくなる。
咄嗟の判断。そうとしか言いようがない。
追い詰められたエリスは腰のパウチから赤いコアを取り出して、急激に色を失ってゆく胸のエディー・コアにアタッチした。
しゅうあああああ。
その刹那、エディーの体を赤い光が包み、彼のバトルスーツとコンバット・アーマが赤く染まってゆく。
エナジーの本質が急激に変じてゆくのが見て取れる。
渦戦士エディーの最強フォーム、アルティメット・クロスへの強化変身だ。
ひび割れた額のコアが赤く染まると同時にパチパチッと小さな火花を放った。
コアを形成するクリスタルが破損し、赤い最強エナジーに耐えられなくなっているのだろう。
今までの強化変身は、バトルの中でダメージを負ってはいてもコアも破損しておらず闘気も充実している時に行われた。
これほどの深刻なダメージの中で、戦うというよりも撤退するために実施したことなど無かった。
――― 一体どうなるのかしら?
それでも胸のコアは赤く染まり、それを金色のエックス型アーマが覆った。
「立てる?アルティメット・クロス?」
牛頭は目前まで迫っている。
「動けるのならここは一旦引きましょう。。。え!?」
退却を促すエリスの手を振り払ってアルティメット・クロスはすっくと立ちあがると真っすぐ牛頭に向かってゆくではないか。
「アルティメット・クロス、ダメよ。無茶しないで」
だがエリスの声は彼の耳にはまるで届いていないようだ。
ふたりを見下ろす位置まで近づいた牛頭が、家屋を粉砕する鉄球の如き左のパンチをエディーの上半身へ打ち下ろした。
ガシィィィィン!
ぐううらああ!
驚いたことに、牛頭の大きな拳はアルティメット・クロスが突き出した拳と正面衝突して完全に止められていた。
その左腕を脇に抱え込むとアルティメット・クロスは全身をクルリと回転させて腕をひねり、牛頭の巨体を地面へ叩きつけた。
ずううううん。
近くに止めてあったトラクターが一瞬宙に浮くほどの地響きと振動が起こった。
ぶもおおおおお!
牛頭は両腕をがむしゃらに振り回しながら飛び起きるとアルティメット・クロスに殴りかかった。
片やアルティメット・クロスも牛頭の懐に入って拳を何度も叩きつける。
ガシッ!ズガッ!ゴンッ!
互いの拳が何度も交差し、そのすべてがヒットしている。ガードなしの壮絶な打ち合いが始まった。
だがノーマルモードであれほどのダメージを受けていたアルティメット・クロスにとってこんな攻撃を受け続けていて大丈夫なはずはない。
「だめよアルティメット・クロス!ガードして。避けて。お願いだから!」
おかしい。
いつものアルティメット・クロスならここまでエリスを無視することなど無い。
「まさか、あなた気を失っているの?」
意識は飛んで、戦う気力だけが今のアルティメット・クロスを支配しているのかもしれない。
だとしたら変身を解除した時、彼自身に途方もないダメージが返って来るに違いないのだ。
エリスは駆け寄ってアルティメット・クロスを止めようと試みたがまるで近づけない。
両者の戦う気が凄まじい圧となって彼女を寄せつけないのだ。
「アルティメット・クロス。。。もう、やめて」
しかし戦うアルティメット・クロスと牛頭は後先考えずにひたすら殴り合っている。しかもその一撃一撃がコンクリート壁を砕き、車を吹っ飛ばすような強烈な威力を秘めている。
不意にアルティメット・クロスがジャンプして牛頭の首にしがみついた。そのまま側頭部から伸びる太く鋭い右のツノを掴んで牛頭の頭上で大きく体を振った。
そのままアルティメット・クロスがグイと力を込めてねじったものだから、いかな太いツノといえども耐えきれなかった。
メキメキバキッ!
ツノはこめかみの生え際から見事にへし折られた。
ツノの欠片が勢いよく弾けとび、アルティメット・クロスはツノの本体を両腕で抱えたまま地面に落下した。
ぶぉおおおおおおおおむむむんん!
痛みのせいか、怒りのせいか、牛頭は天を振り仰いで遠吠えを発した。
アルティメット・クロスはもぎ取ったツノを後方へ投げ捨ててさらに牛頭に向かってゆく。牛頭もまた一本ヅノとなった頭を振りながらアルティメット・クロスに突進した。
その時。
「そこまでじゃ」
いつどこから現れたのか、タレナガースがアルティメット・クロスと牛頭の間に割って入った。
ぶるるる。
瞳の赤い炎は消えていないが、牛頭はタレナガースをあるじと認識しているのかその足を止めた。
そこへアルティメット・クロスが殴りかかろうとする。
「ええい、早くそやつを止めぬかエリス」
その声に促されてエリスがアルティメット・クロスに駆け寄って背後から羽交い絞めにした。
「ここまでよ。私たちも引きましょう」
タレナガースはそのようすを見ながらフンと鼻を鳴らした。
「もうとっくに意識が飛んでおろうに。貴様、死ぬるぞ。まぁそうなれば願ったり叶ったりじゃがな」
そう言い残すと、タレナガースはその口から盛大に瘴気を吐き出した。
「まったく、体を冷やしに現れたというに余計なバトルをさせおって。牛頭よ、限界じゃ。体が焼き切れぬうちに引くのじゃ」
そう言うと、そのどす黒く渦を巻く空間に牛頭と共に姿を消した。
残されたアルティメット・クロスは戦うべき敵が視界から消えた途端がっくりと力なくエリスの腕に倒れ込んだ。
「アルティメット・クロス。。。やはりあの状態で強化変身させたのは無茶だったのかしら」
だがそうしなければ動けなくなり牛頭にやられていたのは間違いあるまい。
エリスは苦労してアルティメット・クロスの体をヴォルティカのシートに置くと、自分のヴォルティカとアクセル、ブレーキ、ハンドル操作を同期させてゆっくりと発進した。
「まったく。フルパワーで戦うとわずか数分程度でオーバーヒートするとは。不便なモンスターじゃのう」
ヨーゴス・クイーンが蔑むように吐き捨てた。
「定期的に冷却せねば己の熱で体組織が焼き切れ、最後には炎を噴いて灰となろう」
「自分の熱で燃えるとは。アホかこやつ」
「まぁそう申すな。どっか遠い星からやって来た青二才が地球では空を飛びバスでも列車でも持ち上げるような超能力者になった話があろう。環境によって肉体が変わることはよくある話なのじゃ。牛頭はこの世界では地獄以上のパワーを発揮する。その代わり代謝による発熱量がハンパないのじゃよ。より強いパワーを揮えばその分一気に体温も上昇する。目指す徳島市街地へ着くまでは外気より少しでも温度が低い地中で発熱を抑えつつ、水があれば水に入って体温を下げながら進むしかない」
タレナガースの説明にヨーゴス・クイーンはやれやれと天を仰いだ。
「埒が明かぬ。なんでもっと徳島の中心地に近い所に魔法陣を描かなかったのじゃ」
「あれだけの入り組んだ魔法陣を再現するには時間がかかるでのう。ほんの少し違っても起動せぬゆえ、ひと目の無い静かな場所で集中したかったのじゃ。第一、衆目の中で出現させたモンスターがもしモグラ程度だったとなれば恥をかいてしまう」
「フン、次はいよいよ徳島市内じゃ。先の戦いで赤いエディーにもひけはとらぬことが証明されたのじゃ。思うさま暴れさせてくだされや、タレ様」
「おうともよ」
ふぇっふぇっふぇっふぇっふぇ。
ひょっひょっひょっひょっひょ。
<五>鮎喰川絶対防衛ライン
ヒロはあれから丸二日眠りとおした。
自分の研究室に戻ったエリスはアルティメット・クロスを青い渦エナジーで構成したドーム内にしばらく寝かせた後で強化変身を解いた。
アルティメット・クロスからノーマルモードのエディーに戻る時、ヒロの肉体には少なからず負担がかかる。
特に今回は眉間のコアが割れている。渦のエナジーが大量に流出してゆく中での強引な強化変身は過去に例がなかった。
万全を期するために強化解除した時のエディーが常に渦エナジーを吸収できる状況にしておいたのだ。
ゆっくりと時間をかけて、なんとかアルティメット・クロスからノーマルモードのエディーへ、そしてヒロへと慎重に変身を解いていった。
ヒロに戻っても目は覚めなかった。
脈拍や血圧、脳波など特に異常は認められなかったため、ドクはそのままヒロを渦エナジーの中で眠らせた。
「う。。。うう。。。腹減った」
意識が戻ったヒロの第一声はこれだった。
「迷惑をかけたね」
「いいのよ。戦いの中で私があなたを助けるのは当然だから」
そう言いながらドクはツツーっと人差し指でレシートをヒロの前へ押しやった。
いつものカフェのいつもの奥のテーブル。
ここへ来るまでヒロは「腹が減った」と何十回言ったことだろう。
店に入るなりカツカレーセットとビザトーストを注文し、それらが目の前に運ばれて来るやガツガツとかきこんだ。
「まぁそれだけ食べられれば大丈夫よね」
ようやく落ち着いてコーヒーを飲みながら、それでもヒロの視線はドクが注文した海老ピラフに注がれていた。
「それで戦ってみてどうだった?あのモンスター」
「めちゃくちゃ強かったよ。重量級のモンスターとは今まで何度も戦ったけれど、何て言えばいいのかなぁ。。。とにかく重くて堅いんだ」
ヒロは眉間に深い皺を寄せてつぶやいた。
「だけどアルティメット・クロスは互角以上に戦えたじゃん。ツノもへし折ってやったし」
「そうなのか。。。でも、その辺のことは覚えていないし」
そうなのだ。ヒロはあの時意識を失っていた。ただ アルティメット・クロスだけが戦っていた のだ。ヒロの闘気と正義感と責任感だけが渦戦士を動かしていた。
「それでも倒せなかった」
しばらくしてヒロがボソリと呟いた。
「仕方ないわ、最後はタレナガースが介入してきたのだから。やっぱりあいつが操るモンスターだったのね」
ヒロは無言で頷いたが、タレナガースが出ようが出まいが、そんなことは関係ない。
何が何でも倒さなければならなかったのだ。
なぜなら次は。。。
「来るんだね、徳島のど真ん中へ」
だがヒロの言葉にドクが首を振った。
「まだよ。もうワンチャンス残っているわ」
驚くヒロの視線を受けたドクはニヤリと笑った。
「おい、まだ立ってるぞ」
「ああ。朝イチからずっとあそこにいるよな」
国道を走行する多くの車のドライバーたちは目撃していた。助手席に人を乗せている場合は多くの人たちがスマホで写真を撮っていた。
鮎喰川にかかる橋から見下ろした河原に立っているのは間違いなく渦戦士エディーとエリスのふたりだ。
「過去の出現ポイントを線で結ぶと間違いなくここに来るのよ」
「コースを変更することは?」
「ない。。。と思う。あのモンスターが私たちを避けるために迂回すると思う?」
「そうだね」
「何よりこの川よ」
川と言われてエディーは眼前の鮎喰川に目をやった。
「この間の戦いでタレナガースがあのモンスターを連れ帰ったのはどうしてだと思う?決して戦況が不利だったわけでもエナジーが枯渇したからでもない。オーバーヒートしかかったからよ」
「オーバーヒート。。。熱暴走?」
エリスはゆっくりと首肯した。
「もしそうなら、目指す本丸へ暴れ込む前に鮎喰川の流れで一旦体を冷却しておくと思わない?」
なるほどエリスの分析はいちいちもっともだ。
「あとはいつ現れるかだね」
出現予想時間は今までヤツが進んだ距離と所要時間からおおまかに算出したものだ。
10分ずれたらヤツを取り逃がしてしまうことも考えられるため、今朝一番からここで待ち伏せているのだ。
絶対にこの先へ行かせるわけにはいかない。
絶対にだ。
ズズズズズ。。。
突如地鳴りと共に足元が揺れ始めた。
地面から伝わる振動が次第に大きくなってゆく。
やがて河原の砂利が一斉に小刻みに震え始めた。
地鳴りにガラガラガラという砂利がぶつかり合う音が混じる。
「来たか」
エディーは身構えた。
敵はおそらく下から来る。神経を集中して気配を探った。
ガゴーーーーン!
ブシャーーーン!
川底が破裂して砂利が周囲に巻き散らかされた。
「川の中から現れたか!」
ぶおおおおおおおん!
咆哮と共に片角の牛頭が川の流れから上半身を現した。
水蒸気が盛大にあがる。
場所も時間もエリスの予測通りだ。
エリスは直ちに県警へ通報し、最寄りの交通網を一時遮断するよう依頼した。
「さぁエディー、強化変身よ!」
エディーは胸の青いエディー・コアの上に赤いアルティメット・コアを置いた。
瞬時に赤いエナジーがエディーの全身にみなぎりエディーは最強形態アルティメット・クロスへと強化変身した。
敵の戦力は嫌と言うほどわかっている。周囲の自然や建造物に対しても自分に対してもダメージは最小限にとどめたい。
フルパワーで行く!
ダッ!
アルティメット・クロスは地を蹴った。
敵は足元がまだ川の中だ。動きは鈍いはず。
海面すれすれに繰り出された牛頭のフックを軽快なステップでかわしたアルティメット・クロスは右の肩口に素早い回し蹴りを叩き込む。
ガクリと川底に片膝をついた牛頭の隙をついて神速の拳を撃ち出す。
ガシィン!
バチン!
敵の拳を恐れず向かっていった牛頭の右目にアルティメット・クロスの左フックがヒットし、赤く燃える眼球を破壊した。
ぶぉおおおおおおお!
だが片目を失った牛頭は素早くアルティメット・クロスの体を両腕で掴むと、上半身の力だけで背後の対岸へと投げ捨てた。
アルティメット・クロスも空中で体をひねってうまく着地する。
もの凄い膂力だ。
右目を失ってなお川の中に仁王立ちする牛頭の全身から猛烈な湯気が立ち昇っている。
本来ならオーバーヒートするくらいのパワーを発揮しているのだろう。
川の真ん中を出現場所に選んだのは牛頭にとっては正解だったようだ。
「やはり一筋縄ではいかないな」
そう言うとアルティメット・クロスは両腕を前へ伸ばして左右の掌を胸の前で向かい合わせた。
ふたつの掌の間に赤いエナジーが集結し、長く伸びて赤い光の大剣を錬成させた。
「決めるぜ!」
双方駆けた。
頭を振りつつありったけのエナジーで筋肉をパンプアップさせた牛頭の体がひとまわり膨れ上がる。両手をガッシリと組み合わせて真上から振り下ろす。前の戦いでエディーの額のコアを割ったあの一撃だ。
片や赤く煌めくソードを脇に構えて間合いを詰めるアルティメット・クロス。ソードの切っ先が川辺の砂利をかいてゆく。
ザッシュッ!
ふたつの影が交差する。
ザシュッ!
ズゥゥゥン!
牛頭の大きな拳が振り下ろされ頭頂部に叩きつけられる寸前、アルティメット・クロスは体をかわしつつソードを敵の脇腹めがけて斬り上げた。
しかし助走をつけた牛頭の体当たりを喰らって、アルティメット・クロスの体は後方の鮎喰川に跳んで水しぶきと共に水中に没した。
「アルティメット・クロス!」
反対側の岸から戦況を見ていたエリスが叫んだ。
牛頭はアルティメット・ソードを体に食い込ませたまま鮎喰川の対岸まで走って止まった。その大きな背中から赤いアルティメット・ソードの剣先が飛び出している。必殺の斬撃は並のモンスターが相手ならば左脇腹から右の肩甲骨を断ち斬って息の根を止めているところだったが、牛頭の鋼の如き肉体はその斬撃を途中で止めていた。
それでもアルティメット・ソードが与えたダメージは小さくはない。
牛頭は持てるパワーを総動員して傷を塞ぎ始めた。
一方、アルティメット・クロスの手を離れたソードは渦エナジーの供給が断たれてみるみるその赤い輝きを失ってゆく。
その時、牛頭の全身が赤く発光し始めた。
アルティメット・ソードの煌めきとは異質の高熱を帯びた光だ。
「牛頭よ、川じゃ。川の水にて体を冷やすのじゃ」
いつの間にかタレナガースが現れて鮎喰川の流れを指さした。
牛頭が背後の川を振り返った時、何かが水中から飛び出した。
水音もしぶきもたてず矢のような速さで飛び出したのはアルティメット・クロスだ。
赤い光の矢と化したアルティメット・クロスはよろよろと歩き始めた牛頭の胸板へ神速の蹴りを叩き込んだ。
アルティメット・ソードの深手を負っていたこともあり少々足元がおぼつかなかった牛頭は河原に仰向けにひっくり返った。
「アルティメット・クロス、ソードにエナジーを注いで。早く!」
エリスの指示に従ってアルティメット・クロスは倒れている牛頭の側へ近寄り脇腹に食い込んでいるソードの柄を掴んだ。
たちまちアルティメット・クロスからソードへ赤い渦エナジーが流れ込み、刀身は赤い光を取り戻した。
それに抗うように牛頭のパワーが体にみなぎってゆく。そしてさらにヒートアップしていった。
「い、いかん。このままではオーバーヒートして牛頭の全身が。。。!」
タレナガースが何かを恐れるかのように後ずさった。
ごおおらあああ!
ひっくり返った亀のように手足をばたつかせる牛頭の全身がさらに熱く、赤くなっていった。
「そのままオーバーヒートさせちゃえ!」
あらかじめエリスと練っていた作戦だ。
こちらの攻撃が強力になれば牛頭は己を守るためにエナジーを消費し、体温が急上昇する。
熱暴走させて自爆させる。
アルティメット・クロスは意識をソードに集中させてありったけの渦エナジーを注ぎ込んだ。
同時にソードに力を込めて引いた。
ぐるぉおおおがあああ!
牛頭の体がふたつに切り裂かれたと同時にカッと眩い閃光がその体から迸って音のない爆発が起こった。
「きゃっ!」
凄まじい衝撃波が四方へ奔り、エリスは仰向けにひっくり返った。
自らが発する高熱に耐えきれず、ついに牛頭の体が破裂したのだ。
衝撃波によって巻き上げられた大量の土砂のせいで視界が遮られて何も見えない。
「無事なの?応えてアルティメット・クロス!」
一瞬の静寂の後、今度は自然の川風が吹いて砂塵を押しのけていった。
エリスは川の向こう岸に赤いドームを認めた。
赤い渦エナジーで形成されたバリアドームだ。
その中には河原に片膝をついたまま赤いソードを両手でホールドするアルティメット・クロスがいた。エリスを認めると、バリアドームをすぅと消滅させてゆっくりと立ち上がった。
「無事だよ。終わったね」
そう言うと赤いアルティメット・コアを取り外してノーマルモードのエディーに戻った。
タレナガースはとうに姿を消していた。
とにかく、被害は最小限に抑えられた。
<終章にして序章>新たに生まれたモノ
いつものカフェのいつもの奥のテーブル。
ヒロとドクは珍しく冷たい飲み物を注文していた。
ヒロはミックスジュース。
なぜだか濃厚な飲みごたえのある飲み物が欲しかった。
ドクはカルピスコーラ。
最近あまり見かけなくなったが、甘くてシュワシュワした飲み物で喉を刺激したかった。
徳島市の中心部を牛頭の襲撃から何としても守り抜かなければならないという緊張感から解放されたためか、ふたりともどこか呆けたようすだ。
「結局あいつ、何だったんだろうね?」
「うん。何だろうね?」
タレナガースが絡んでいたことは間違いない。
しかしヨーゴス軍団のモンスターとはどうも思えない。
何か根本的に違う気がする。
もの凄い耐性の肉体を持っていた。かなりの深手も自らのパワーで修復できた。
自己修復はヨーゴス軍団のお手の物だが、いつもの活性毒素による呪術的かつ超化学的な復活過程ではなく、あのモンスターがもともと備えていた能力のように思えてならない。
タレナガースが前面に出て、したり顔で講釈をたれなかったのもそのせいではないか?
そして何よりあの放熱効率の悪さだ。
そもそもこの世界にいてはならない存在なのではないか?
ヤツにはヤツに相応しい世界があったのではないか?
それをタレナガースが無理矢理この世界に連れ込んだ。
結局その無理が祟ってヤツは自滅してしまった。
そんなところではないだろうか?
これらはすべてドクの意見ではあるが、当然のことながらヒロに異論をさしはさむつもりはない。
「まぁ。。。」
ドクはストローを鳴らしてグラスの底のカルピスコーラを吸いながらヒロを上目遣いで見た。
「今回はあれこれ考えても答えは得られない気がするわね」
ドクがそう言うのだからそうなのだろう。
モンスターは斃した。
―――ま、それでいいか。。。
ヒロも割り切ることにした。
ガタン。
何かがぶつかりあう音がした。
納屋の中にはさまざまな機械の部品や金属製のガラクタが積み上げられている。
動かなくなった農具を分解して部品を取ってあったり、うち捨てられたバイクをただ同然で買い取ってきたり。
そのうち使わなくなった如雨露やら鍬やらスコップやらハサミやら錆びて動かなくなった金属製品のガラクタが無造作に放り込まれているのだ。
ガタタン。
音はそのガラクタの山の中から聞こえてくる。
納屋の板壁の一角に直径数十センチほどの穴があいている。
先日この納屋のすぐ近くでエディーと牛頭が戦った折、アルティメット・クロスは牛頭の片方のツノをへし折った。
そのツノの欠片がこの納屋の中に飛び込んできた時に開けられた穴だ。
ツノの欠片は大きさの割に重いようで、自重でガラクタの中へ中へと沈んでいった。
ガラクタの山の中から赤い光が洩れている。
あのツノが光を放っているのだ。
そして高熱を発している。
ガタガタガタガタ。
ガラクタの山全体が小刻みに震え始めた。
ツノの周りの金属製品が熱で次第に溶かされて融合してゆく。
やがてツノを核とした金属の球が出来上がった。
さまざまな色の歯車やら銅線やら金属板やらが混然一体となった球だ。
そして。。。
丸い目がひとつ、開いた。
<続く>